パシフィック・リムって映画見た

 今日は時間があったのでうちの奥さまと映画を見ることにしてたんですが、映画にはあいかわらずうといので、ツイッターで「なにみよっかー」みたいな話をしてたら「パシフィック・リムで」といわれたのでそうしました。

 そんでさっき見終わってきました。

 俺は映画に関して知識がないし、まして特撮にも巨大ロボにも詳しくないんですけども、とりあえずめったやたらにおもしろかったです。以下感想となりますけども、あくまで「映画にも特撮にも巨大ロボにもとりたてて愛情がない」人間が書いたものだということを念頭に置いといてください。

 

 いやー、わけわかんない映画っすね。

 およそなんつーか、かっこよさってのがない。くどい。すべてが過剰。ロボットのデザインそのものは比較対象がないっつーか、こっちに審美眼がないんでよくわかんないんですけど、コックピットのデザインと動かすシステムみたいなのですよね、あれはかっこいいものなのだろうか。なんか作業場みたいなのもそうですけど、絢爛豪華にしてくどくてやりすぎでださい。ださいとまでは言い切れないんだけど、かっこいいのかと問われると「……どうなんでしょう」みたいな途方にくれちゃうような感じ。

 なんかこの「かっこいいのかどうか」っていう判断に迷う感じって映画全体に漂ってた気がします。画面の向こうではこれこそが最高だと思ってやってるんだけど、見てる側ではどう受け取っていいのかわからん、みたいな。ああそうそう、デコトラみたいなセンスがあります。LEDできらきらしててなんかすげー、見ようによってはかっこいいのかも?と思うんだけど、同時に冷静になってみると「あれはアリなの……?」ってなるような感じ。

 しかもそれが悪い印象ではないんですよね。完全に突き抜けてる。「そこまでやられたらもうかっこいいと思うしかないじゃん」っていう圧倒的な説得力が画面からこれでもかと飛び出してくるんですよ。

 全部乗せって感じもします。天かすでも油揚げでもとにかくなんでも盛っとけ!っていうような。メインはとうぜん巨大ロボットと怪獣の戦いなんですけど、なんかとつぜん殴り合いとか始まるし、棒で戦ったりするし、それほんとに必要なの?って言いたくなるんだけど、なんかもう出てきちゃったらしょうがない、受け入れるしかない、という謎の勢いがありました。

 それとキャラの濃さ。みんな過剰なまでにわかりやすい。学者二人の異常なキャラ立ちは言うまでもないんですが、後半に出てくる謎の中国人商人もたいがいだし。このキャラのくどさは、一面で「人間のドラマとしてはどうなんだろう」みたいな感じを受けないでもないんですが、そういうとこ気にする映画じゃないですからね。わかりやすさ第一。

 というような複数の要素が絡んで、全編これ山場といわんばかりの異常なテンションがありました。なんていうか「俺がいいと思うもの全部突っ込んだ」というような。そのせいかなんなのか、大まかなストーリーとしては隙がないと思えるのに、個々の要素とかつながりだけ見ると、ツッコミどころ満載にも思えるんですよね。しかもそれが欠点じゃない。楽しさにつながってる。

 

 あと特徴的だったのが、ロボットの動きはやたら日本っぽいのに、人間の動きはアメリカっぽいところです。海岸かなんかで踏ん張るとことか、大気圏外(あ、ほんとに行っちゃうんだってびっくりした)で刀みたいなの出してきたところとか。あのシーンは爆笑しました。爆弾の話が出てきたところからもう自爆オチしかないのではと思ったんだけど、ほんとにそうなるあたりとかもなんかすごい日本っぽい。

 反面で、ヒロインの子供時代(日本人ですよね?)の演技なんかは、子役であるせいか、妙にアメリカっぽいんですよね。とぼとぼと歩くとことか、眩しくててのひらで遮るあたりとか。あれは日本の実写作品じゃああはしないだろーと思った。

 

 ほかの人の感想とかぜんぜん知らないんですけど、これは俺でも日本の特撮映画とかアニメの影響下にある作品だなってのはすぐにわかりました。とにかく、わかりやすくて、派手で、強烈にアクの強い作品だったな、という印象です。いや、ほかのハリウッド作品なんてほとんど知らないんですけど、これはふつうの人間に出せるアクの強さじゃないと思う。

 見終わったときの最初の印象が「雑」だったんですよね。もちろん高度に計算された雑さではあるんですけど、その大雑把で派手な感じが強く印象に残りました。

 最近見た作品ではバーフバリ以来のわけのわからなさで、やっぱり2時間っていう枠だとこういう圧倒的な濃さって見せるのに重要なんだなーと思った次第です。はい。

最前線にいること

 キズナアイに関する話題をちらっと眺めてて、俺のなかではあれは世代間闘争ってことでかたづいちゃったのでもうどうでもいいんですけど、ふとそれに関連して思ったことがあったので書いておきます。

 俺はそのキズナアイとやらをほとんど知らないわけですけど、もう反発してる層ってのは「要はアニメ絵が気持ち悪い」っていうことでいいんじゃないかと思うんですよ。ただもうその価値観って現代の基準にほとんどあってないわけで、あわないものを振り回すから反発されるわけです。

 俺自身「男らしく」とかそういう旧来の価値観にえらい苦しめられたほうで、そういう経験や、いまのネット上でのいろんなバトルなんか見てて思うのは、そういう現代にあわない価値観みたいなのが一掃されるのって、もうそういう価値観を抱いてる世代が死ぬしかねえと思ってんですよね。いずれ死ぬし。48年間生きてきて、それはもう、ほんとに思う。実際、ほっといても世のなかってのは変化してくわけですし。

 俺はもう大きな舞台でなんか大声でしゃべることってたぶんないし、なくてもぜんぜん問題ねーやと思うようになったのは、その状況のなかでことさらに自分がなんか言う必然性を特に感じなくなったからです。いいかげん50近い年齢になってなんかまだ書いてるってのは、たぶんその人の抱えてるテーマらしきものがそれをさせてるはずなんですけど、それでいうと俺のテーマってのは世のなかでなんか発言する方向には向かってなかったってことです。

 なんていうんだろ、なんかしゃべるということ、その声が人に影響力を与えるってのは、その人の持ってる能力だけの問題じゃなくて、たぶん大きなものの流れとか、そういうものとの兼ね合いみたいなのがあるんじゃないかと思います。その兼ね合いってのは多分に個人での制御は難しいもので、唯一その流れのなかで影響力を持ち続けるには、おそらく最前線で戦い続ける以外の方法がないんじゃないかと思うんです。そんでもう、戦いって意識持ったら負けなんですけどね。

 最前線にいるってのは、当事者だってことなんですよ。当事者が時代の流れ(いやな言葉だな……)とのあいだでたてる軋みの音みたいなの。そういうのが説得力を持つ言葉ってやつで。この当事者感を忘れたおっさんにできることがあるとするなら、たぶん有能な藁人形くらいのもんだと思います。そんで俺はもう、時に軋みみたいなのは感じなくなったんで、言えることがなくなってしまった感じです。まあ巨乳全盛の時代に物申したい気分とかないではないんですけど、そういうのってあくまで俺個人の適応の問題だし、そして個人の問題である以上、書く必要がなくなっちゃったんですね。

 要するにめんどくさいだけなんですけど、このめんどくささが人の加齢を促進すんだよなあたぶん。でも俺そういうのに逆らう気あんまないんで。最終的になんか読んで「おもしろい」と思ってりゃそれで満足な人間なんすわ俺は。

キャラのリアリティ

 ラブシックなんちゃらってエロゲやってて、エロゲ本体とは関係ないことをふと思いまして、キャラのリアリティってものについてですね。

 おっさんなのでたとえが古いんですが、俺は麻枝キャラと久弥キャラだと後者に強いリアリティを感じるタイプです。といっても、お若い方には話が通じないと思うので、もうちょっとまともに書いてみます。

 そもそもが俺自身、キャラってものに対する扱いが変化してきてるのを感じるんですよね。単純にいうと、昔は「人間」を求めるために作品を消費してたんだけど、いまは作品のなかに人間がいるっていう違いがあるんです。

 なにかっていうと、飢えですよね。昔は圧倒的な飢えがあった。その飢えっていうのはちょっと説明が難しいんですけども……うーん、なんだろ、早い話、ふつうの人が持ってるような人間関係のほとんどを持ってなかったんですよね。その持ってなかった程度って、ちょっと珍しいくらいだと思うんですけど、そこを説明するだけの熱意はもうないので、そういう客観的な状況としてはすごく孤独な人間がいたと思ってください。

 で、その孤独な人は、慣れなのかもともとそういう人なのか孤独耐性は高くて、まあ孤独であることじたいでは死ぬことはなかった。ただ同時に自分には人間が必要らしいっていうことは理解してたんだけど、自分のほうには他人から人間として扱われる資格がないと思いこんでいた。つまり「自分なんかが他人を求めるなど図々しいにもほどがある」という感じです。

 なので、人間が必要だとわかっていても、現実でそれを求めることは「許されていない」という感覚が強かった。もちろん自己保身とかさまざまな要素はあったんでしょうし、結局のところトライアンドエラーで覚える技術体系だよね、みたいな話もあるんで、要は勇気がないんでしょ系の話だったかもしれません。しかしその渦中にある人にはそんなことはわからない。うすうす自覚してはいても、自分には慣れ親しんだフィクションの世界があるんで「とりあえず」はどうにかなるんですよ。

 こういう心境で触れるフィクションの世界のことを俺は「極彩色の地獄」と呼んでいました。現実で何重にも防壁を作ってる関係上で、フィクションに触れるときには粘膜に接触してるような強い刺激があるわけです。快楽も苦痛も何倍にも増幅される。あれですよ。サイケデリック。

 そういう世界観で求める「人間」って、ふつうの人間であってはならないような感じがあって。リアリティの表現方法って、そりゃいろいろあると思うんですけど、俺にとっては「どこにでもいそう」とか「いかにもそういうことしそう」っていうのはほとんど響かなかった。自分の周囲にいる人間が怖くてしかたないわけなので。なにより関係性の網の目に浮かんでるような人間がいちばんだめです。それは自分の理解できないものなので。だから「ひとりでも生きていく」「生きていかなければならない」というキャラに強烈なリアリティを感じる傾向があったような気がします。そして同時に、それは自分にとっての救いでもあり、妬みでもあり、どうかすると信仰でもあったわけです。俺の信じる人間性に対する信仰みたいな感じですかね。となるとキャラクターは単なる人間であると同時に自分の願いでもあったりするので「ここにいてほしい」と強く思うようになる。

 んでまあ、俺もいいかげん50歳近くなってきました。さすがにこの年齢になってくると「人間だいたいこんなもん」っていう見切りがついてくる。そうすると、だいたいどんな作品のどんなキャラでも「まあこういう人間」とふつうに把握できるようになってくる。存在するしないでいえば、昔の名残もあって絶対的には存在すると考えることができるので、まあそうしたらふつうに「人間」以外のなにものでもないですよね。これはこれでなかなか楽しいと思います。

 まあ同時に俺は、信仰を失ってしまったということもできるわけです。

 

 というところでこの文章はおしまいなんですけど、いまふと気づいた。

 俺がとらドラ!の大河にあれだけ殺されたのって、俺が信仰という形式で自分の外側に置いてあった戦いみたいなものに真正面から大河がぶち当たってたからじゃないかなーと。こうなるとまあ、憧れも妬みも両方極値になりますね。

 いつかはとらドラ!読み返すんじゃないかなーという気がしてるんですけど、どうなんだろうな、50歳近くになった俺は、あの物語をどう読むんだろうなあ……。

ラブシックなんちゃらその1

 んーと、さすがにケモノ娘の育て方だけじゃちょっと食いたりなくて、なぜか以前にクリアした姫恋シュクレーヌとかやりなおしてたんですけど、タイムラインでタイトルが出てきたので発作的に「LOVESICK PUPPIES」というやつを購入しました。

 今日からスタートです。2013年の作品っすね。

 まあよくあることなんですけど、やってみてしばらくしたら「あ、これ体験版やったことあるなー」となりました。やったうえで買わなかったというのはさほど惹かれなかったということなんですけども。

 んで開始まもなく「あ、これあかべぇ系列なのでは」って気づきまして、それから公式サイトを確認してあーやっぱりとなりました。

 あかべぇ系列の作品って特徴あって、といってもわりと避けてるメーカーなので「まちがって体験版やってしまった限りでは」ということになりますけど、とにかく設定がやたら凝ってて、その設定がわりと管理社会っぽいようなものが多くて、主人公がその異分子みたいな感じですね。全体としてはエロゲではなくなにか別の読みものを読まされてるような感じで、思い出したようにエロシーン入れてきて、エロゲのふりを始める、というような感じです。

 でまー、これがとにかく俺と相性悪い。基本的に主人公がやたらアツいってのもどうにも苦手で。それにもかかわらずお話は非常に緊密に作ってあるんで、要は「ディスプレーの向こうでなんかやってる」っていう印象になりがちです。

 基本俺は「おもしろければなんでも読む」の人なんですけど、エロゲに関してはちょっと違う評価軸があって「入れるかどうか」なんですよね。俺の用語でいうと「ディスプレーのなかに頭つっこめるかどうか」です。フックとでもいいますか。ただそのフックってのがこういうもんであると具体的に説明するのはけっこう難しいです。おそらく多くのエロゲはそのフックっぽいものを人工的に作ってあるんだと思うんですけど。んで最近のイチャラブ系のは最初からそのフックの「後」からスタートしてるんで、のめりこめないんじゃないかなと思うんですけど。

 確実なのは「隙」なんですよね。女の子の隙。その隙がですね、主人公という透明な存在をとおしてこっちまで届けばディスプレーに頭突っ込むきっかけになります。でも小説なんかだとわりとそういう作りにはなってない。仮に女の子が隙とやらを見せたとして、その隙を回収していくのは、お話の世界のなかにいるだれかであり、なにかです。あかべぇ系列と俺が判断してる作品って、主人公がわりと有能で、そういうのを全部回収しきっちゃような印象がある。

 今回もそれかと。でもまー信頼できる人がおもしろいって言ってたし、お話としてみればおもしろいのは確実なんで、つらつらと読んでたんですよ。重苦しい家庭事情を背負った女の子がいて、人をほっとけない主人公がその子のために奔走するような姿を。もうこの時点で主人公のキャラとの相性が非常に悪い。

 んで、そのめんどくさそーな女の子のエピソードがようやく一段落したなーと。なんとなく「そっか、これでようやく共通に入る準備ができたわけだな」という感じはしてて、そこでOPに入ったんですけど、このOPってのが、それまでの重苦しい雰囲気を完全に吹っ飛ばすやたらポップなやつで「いったいなにが始まるんです?」状態になりました。

 

 んでまー、プロローグが終わってようやく第一話とやらに入ったんですけども、そんな状況なんで、キャラがまったく頭に入ってないです。長いことはまあ確定なんで、気長につきあうほかなさそうです。とりあえず退屈することだけはなさそうなんで、最後までやるでしょう。

乳袋認定しなかった

news.yahoo.co.jp

 

 これ読んでた。ブコメ欄もひっくるめてなんか違和感あって、しばらく考えてたんだけども。

 まず俺はバーチャールユーチューバー界隈はまったく興味ないので、このキズナアイとやらも名前程度しか聞いたことがない。それがどういう性質のコンテンツであるかもわからない。なので絵だけで判断するのだが、ここに性的な含意がないかといえば、これあるとしかいえないだろう。理由は非常に単純で、乳とかへそとか強調するデザインになってるから。ただし同じことは、そこらへんでリアルの女性が着ている服にも同じことがいえる。体のラインとか肩とか強調するやつとか、あと胸あきなんかのある服でもやってることは同じである。そういう服がなんのために存在しているかはさておき「女性の肉体」という概念があって、それを活用するという思想がそもそもファッションのなかには埋め込まれている。ここはこれ以上踏み込むとすんげーめんどくせえことになるので、そういうものだと思うことにしておく。

 ただこのキャラデが現今の、2018年という時代において「過剰に性的」であるかというと、かなり躊躇するものがある。単なる「かわいい女の子」の記号化でしかない、という見方も充分に可能なレベルでしかない、とも思う。そのかわいいの記号化が女性性というものを消費云々言い出すとまた話がややこしくなるので、ここでは(ひとまず)女性がかわいかったりきれいだったりするという価値観そのものには問題がないということにしておく。実際ブコメの大半は「これで性的とかねーわ」っていう感じである。

 そこで俺が気になったのが著者の年齢だ。1968年生まれ。

 まあ俺みたいな1970年生まれもいるのでいちがいにはいえないが、この世代でオタ的なコンテンツになじみがない人にとって、このキズナアイというキャラはどう見えるかという話である。これたぶん目もあてられないくらい性的なものに見えるのではないだろうか。てゆうかこの手のキャラの「かわいさ」ってわりと明確に少女マンガ由来で、そんでもって、その原型は80年代あたりのりぼんにあるのね。68年生まれって世代的に直撃のはずで、ロマンティック・ラブ・イデオロギーに彩られたそれらの作品群の女の子が「媚びてる」っていうふうに見える可能性がわりと高いと思うんだわ。

 俺は別にこの記事を書いた人を擁護したいわけじゃない。というか記事内容そのものがわりとどうでもいい。

 ただ俺は前から思ってたことがあって、インターネットにおけるもめごとのかなりの部分は、実は世代間闘争だっていうことである。だってさ、俺もうじき50歳だけど、その50歳とまあ20歳くらいか。これが同じ空間に同じように存在してるわけよ。その差30歳でしょ。肉体をともなわない、テキストだけの存在なんだとしたら外見なんか見えないし、いくらリアルとネットの分断ってものがあんま意味なくなった時代だっつっても、ひとまずは社会的立場とネットにおけるそれは分断されてるわけで、少なくとも、有名人でもなければ無視することは可能。てゆうか意識しないと見えない。そういうものがひとつ空間に放り込まれてるわけですよ。いくら時代の変化の速度が緩くなってきてるからって、30年はでけーっすよ。

 この記事なんかはわりと典型例だと思うわけ。要するに68年生まれのこの女性からはキズナアイというキャラデが性的でかつ媚びてるものに見えた。そこが根幹で、あとは枝葉だと思う。要するに主観ですわな。ただすべての主観は相対化されてしまうものであり、書く人にはその事実に対するわきまえってのが必要なんですけど、この記事にはそれがなかったためにこんなブコメ状況になったって感じですかね。まああんまり気をつかいすぎても今度はおもねるような結果になったりもするわけで、難しいところですけど。

 あとぜんぜん関係ないんだけど、俺の脳はこれを乳袋認定しませんでした。俺もまた時代に流されているということか……。