のんのんびより見てた

 にゃんぱすー!(5年遅れ)

 ふと気づいたらジャングルスマイルがサブスクに来てて、さっそく「翔べ!イカロス」なんか聞いててそうすると頭のなかにはあのMADなんかが出てくるわけでさっそく死んだ。おっさんだけわかれ。

 それはそれとして最近はバンダイチャンネルで見放題になってたので「のんのんびより」というアニメを見てました。まだ1期の8話あたりです。とうぜんタイトルくらいは知ってたんですけど、なぜか1話の冒頭だけ見ていきなり切ってたんですよね。なんでこの内容で俺が切るんだって自分でも謎に思えくらいだったんですが、このあいだようやく思い出してまして、冒頭のれんちょんの「にゃんぱすー」の段階でもう無理でそのあと見てなかった。まあああいう不自然なのってあんまり得意じゃないんです。

 でまあ、今回はちゃんと1話を通して見まして、まあなんというか、呆れました。田舎ってものをテーマに、というと、エロゲなんかでもよくあることなんですけど、オリエンタリズムみたいな、固有の臭みみたいなのが発生したりするじゃないですか、そういうのがきれいさっぱりない。あまりといえばあまりの背景の精細さはもちろんですけど、選んでるロケーションも、なんていうか、ただふつうに田舎なんですよね。その「ただふつう」をアニメーションの力でそれ以上のものに昇華してる。もう1話の段階でただごとじゃなくなってるなーってのはよくわかりました。なんていうか、作り手の意識みたいなのがよっぽど統一されてて、全員が「こういうものを作るぞ」ってわかってないと、ああいうものってできあがってこないと思う。

 で、いい作品なのはわかったと。これは続きも見なきゃねと思ってぶち当たったのが、4話です。特に後半。れんちょんが都会から来た女の子と出会うエピソード。

 あれはやばいすね……。

 いってしまえばよくある話じゃないですか。あのエピソードのなかで、ことさらに新しいものって、たぶんなにもないんですよ。出会いも、親しくなる過程も、イメージ的に流される背景の切り取りかたも、そして手紙が来るシーンも、すべてはだいたいがどこかで見覚えがあるようなもので。

 にもかかわらず「完璧」という一言しか出てこないんですよね。よくある話というのは、それこそどこにでもありそうだからよくある話なんですが、それをあそこまで隙なく、完璧に作り上げるのは簡単なことじゃない。お話を構成する「すべて」が完全に噛み合わないとああはならないんですよ。単話レベルでいえば、たぶん年に一度もないような、すばらしい視聴体験ってことになるんじゃないでしょうか。

 年間何十本となくアニメが作られる。話数単位でいうとその少なくとも12倍とか13倍ですよね。そうやって数多く作られたアニメのなかの、おおげさにいえば奇跡みたいな1話だと思う。あのキャラで、あのエピソードで、あの背景で、そして特に強調しておきたいのが、れんちょんの声優さんの声の演技ですね。あれはすばらしかったです。手紙をもらったシーンなんですけど、あそこでの「はがきより封筒のほうがかっこいいのん」とか「クレヨンも持ってくるのんな!」とかいうセリフ。そのセリフの選択が子供のリアリティを表現してるのもそうなんですが、れんちょんという、いってみればかなり特殊な特徴を与えられたキャラにあって、ときどき垣間見える「素の子供らしさ」というのがめっちゃよく表現できてる演技でした。

 どんな作品にも、とはいいませんけど、人気が出る作品って、やっぱりどこかには奇跡的な一瞬っていうのは抱えてると思うんですよ。それを計算で狙って出せるのがプロというだと思うんですが、ごくまれに、計算だけじゃ届かないだろう、なにかここで奇跡みたいなことが起きただろうと、そう思わせてくれる一瞬っていうのがあって。まあ俺みたいな人間はだいたいお話の体をなしていれば、あとは自分のほうを適応させてお話に潜り込むことが可能なわけですけど、そういうの抜きにして、問答無用にぶっ刺さってくる作品でありシーンっていうのは確かに存在してる。たとえばとらドラ!において、大河が竜児の名前を絶叫するシーンであったり、ちょっとほかに例が出てきませんけど、確かにあるわけなんですが、かといってそれは物語の積み重ねのはてに、そこですべてが爆発するんだ、という一瞬だったりするわけです。なるべくしてそうなったんだ、といえる。でもこののんのんびよりの4話は、そういうものではなくて、あたりまえに存在するものを、あたりまえに、異常な高精度で描写したはてにあんなものができあがってしまったというのが凄まじいです。

 実は類似の感動っていうと、ゆるキャンの何話だっけ、しまりんとなでしこが初めて一緒にキャンプする日の朝ですね、山を背景にかなり引いた構図でなでしこが歩いてるシーンなんかにも感じたんですけど、あれはシーン単位ですけど、のんのんびより4話はエピソード単位でそれを実現してる。

 いや、ほんと驚きました。すごい話でした。

 

 あとはれんちょんがシャンプーハットを使用しているかどうかの情報と、あとトイレのシーン(ないしトイレ宣言)をしてるシーンがあるかどうかが重要です。水着はれんちょんが優勝です。てゆうかれんちょんよすぎて、だんだんほかが目に入らなくなるといういつもの悪癖が出てきました。これは性的に消費する可能性があるキャラとしては最低年齢更新かなーと思ったんですけど、パパ聞きのひながいちばん幼かったのでまだ平気です。しかし作品のほうから「ひなをそういうふうに消費していいんだよ」というメッセージが出てたという点で、あれけっこうひどい作品だったと思います。れんちょんはそういうメッセージ出してるキャラじゃないから、それを見出す俺のほうが罪人。

ボヘミアン・ラプソディ見てきた

 えーと、この感想はネタバレで参りますというか、クイーンがある程度好き(じゃない人はそもそも見に行かないと思うんだが)な方はですね、絶対「いかなるネタバレも」なしで見たほうがいい映画です。理由はこのあとの感想で説明しますが、俺は予備知識なかったおかげで、冒頭から一気にうわあああってなりましたんで。

 以下感想ですが、とにかく未見で見るつもりのある方は以下は読んじゃだめです。

 

 というわけで、感想に入る前に、自分のクイーンとの関わりについて書いとこうと思います。空行がわりです。

 リアルタイムで最初に聞いたのがたぶんアルバムのカインド・オブ・マジックです。最初はシングルがラジオから聞こえてくる程度の認識だったんですけども、当時はフレディ・マーキュリーのソロがノエビア化粧品かなんかのCMの影響かやたらかかってまして、まあ当時のこととて、というか現在もそうなんですが、俺は作り手の情報にはほとんど興味がない人間なので、クイーンの曲とソロの区別もついてない程度だったんですね。ただそうは言っても、この圧倒的な「声」の強烈さというのは届くわけです。すげえなと。なんだこの声はと。んでアルバムを買いまして。

 それがなれそめなわけですけど、じゃあそのあと集中して聞きこんだかというと別にそういうこともなくて、特に後期に関してはカインド・オブ・マジックとイニュエンドゥくらいしか聞いてないし、初期に関してもアルバム単位では「まあ聞いたことある」程度です。

 それがなんでこんな映画を見ることになったかというと、うちの奥さまがすんげーファンなんですよ。といってもうちの奥さま別に洋楽とか聞くわけじゃないし、そもそも音楽といったら「GLAYのすげえファン」という以外ほとんど聞かないってくらいで。それがあるとき、ライブ・エイドかなんかの映像見せてきて「これだれ」っていうんで「あークイーンのライブ・エイド映像だ。なつかしいなあ」って答えたんですけど、それからまもなくしてアマゾンで大量の買物がなされておって、気がついたら全アルバム揃えてた。それがせいぜい5年くらい前の話です。ただあの人もたいがい「聞く」以外の行動をしない人で、今回の映画のことすら知らなかった。

 そんでまー、話題だし、なんとか休みを重ねることもできたということで、今回見てきたわけです。

 じゃあ、以下感想です。くれぐれも見に行くつもりのある方は読まないように。

 

 

 なにより冒頭ですね。くっそ長くて音量がばかでかい予告編とかもう鬱陶しくてしょうがなくて耳ふさいでたんですけど、そのうち20世紀フォックスのロゴが出てきまして。最初はぼんやり聞いてたんですけど、すぐに「なにこの……シンセ? いや違うなこれギター……ええ、おい、これ、おいおい!」ってなった。すぐに「レッドスペシャル!」って声を殺して横にいるうちの奥さまに話しかけつつ、買ってあったバケツサイズのポップコーンを掴んだら床にぼろぼろと落ちました。

 もう、ああいう演出はたまんないですね。俺はギターに限らず、楽器ってものに対する感受性が非常に低い人間なんですけど、さすがにレッド・スペシャルだけは音が特殊すぎてわかるわけです。もう代名詞じゃないですか、クイーンの。

 ブライアン・メイといえば6ペンスコインなわけですけど、そういや以前に見たテレビかなんかでCharだったかな、6ペンスコインでギター弾いてて、なんじゃこりゃ弾けたもんじゃねえブライアン・メイおかしいだろみたいなこと言ってて、確かにあれは楽器なんかぜんぜん嗜まない俺でも「どう考えてもやりづらくね?」って思ってたんですけど、あのCharでもそうなら、本当にそうなんだなあとしみじみと納得したことがあります。

 そして映画全体の感想としては「うわあレッドスペシャルだあ」っていうのと「ブライアン・メイが本人すぎる」に尽きます。これ見た人全員思うよね。それで次にやることはライブ・エイドの映像を確認して再現度をチェックすることだと思うんですよ。うちの奥さまも映画見終わった瞬間「カメラのいる位置とかマイクをスタッフから受け取るタイミングまで同じだった気がする……」って言ってましたし。あとベプシの紙コップ。あれ映画見終わった瞬間「何個あったっけ?」って気になった人ものすごく多いんじゃないですか? 俺もタイムラインの人が紙コップの数を確認してたのを見てたんですけど、うちの奥さまもやっぱり気にしてました。

 で、俺も数時間前に帰宅して動画を確認してみたんですけど、おそるべき再現度ですね……。フレディ・マーキュリーがカメラに異常接近して歌うシーンなんかは、映画ではカメラのほうから映してたりするんですよね。つまりステージまるごとを物理的に再現して、映像を再構成してるような感じ。まあ、この映画を見に行くような人はとうぜんライブ・エイドの映像なんて暗記するくらい見てるでしょうから、それくらいやらなきゃ話にならないんでしょうけど。

 

 キャスティングについては、そもそもクイーンの現物でも、フレディ・マーキュリーとブライアン・メイしか個別認識してなかったので、ロジャー・テイラーとジョン・ディーコンに関しては似てるんだか似てないんだかわからなかったですが、とにかくブライアン・メイが本人すぎました。うちの奥さまいわく「わりとどこにでもいそうな顔じゃね?」というのも一面の真実だとは思うんですけど、それにしたって似てますわあれ……。

 主人公であるフレディ・マーキュリーについてはどうだろ。似てるって感じではなかったですけど、ふつうに演技に違和感なかったので、よかったんじゃないでしょうか。外人の演技なんてよくわかんないですけど。

 

 ストーリーその他については……どうなんだろうなあ……。

 ひとまずフレディ・マーキュリーがけっこうなダメ人間である、というような程度の予備知識はあったんですが、それを考えるとけっこう映画向きに作られてるのかなあとは思いました。伝記映画となると恋愛関係どうすんのかな、けっこう踏み込むとやべーんじゃねえかなとは思ったけど、それはまあ避けて通れない部分だろうから、ふつうにやってましたね。

 それと同時に思ったのが、わりと雑に挿入されてるフレディ・マーキュリーのゴシップ関連です。圧倒的な人気のわりにあんまり評判みたいなのよろしくない、というのがクイーンというバンドにつきまとうイメージなんですが、ああなるほどと。こっちは音楽しか聞いてないわけですし、仮にそれ以外の情報が入ってくるとしても、あくまで海の彼方のことなんで「そのときのメディアの空気」みたいなのはわからない。けど本国じゃそりゃでっけースキャンダルですよね。なるほどなあと思った。

 そういやこれで思い出したんですけど、カーペンターズってのもセールスのわりにあんまりよくないイメージあるなと思ってて、以前、外人さんと話す機会があったときに聞いたことあるんですけど、ゴシップのイメージけっこう強いらしいっすね。

 あーそうだ、あともうひとつ思ったのが、フレディのルーツとしてのパールシーであるということですね。俺なんかにとってはフレディ・マーキュリーっていっても要は「イギリスのほうの外人」でしかないわけで、ああやって家族の描写とか入れられると、想像以上にルーツとしてパールシーってものが近かったんだなあと思った。

 それで、決定的にやばいなあと思ったのは、メンバーへのエイズのカミングアウトのタイミングですね。あれ映画見てるときから「え、この段階で判明してたっけ?」って思って、家に帰ってから調べたんですけど、やっぱライブ・エイドの段階ではまだわかってなかったんじゃないかと思います。盛り上がり的にはあれでいいのかもしれないけど、どうなんだろうなあ……。

 そもそもこの映画の最大のコンテンツって曲そのものじゃないですか。見てる俺も、たとえばボヘミアン・ラプソディの録音に関するエピソードなんかはすっげー興奮したんですよ。あの化物じみた曲が「いままさにできる」っていう現場を疑似体験できるわけじゃないですか。フレディの恋愛沙汰とかわりとどうでもいいから、そういうとこもっと突っ込んでほしかったなあと思いました。自転車ベルみんなで鳴らしてるところとか。

 

 家に帰ってクイーンの曲を聞いてたんですけど、サントラがサブスクで解禁されてるみたいですね。タイムラインの人たちとああでもねえこうでもねえと言いながら聞いてて、ドント・ストップ・ミー・ナウの音が違うと。ふーんって思って聞き直してみたら、あれギターが挿入されてるのはもちろん、ソロも録音しなおしてるみたいだし、たぶんですけどドラムも新しくなってますね。スネアの音がぜんぜん違う。

 あと、ライブ・エイドの曲ですけど、映像なしで聞いたのはこのサントラが初めてなんですが、あらためて聞くとすげえっすね。演奏の隙のなさとか、4人でこの音出せんのかみたいな部分もそうなんですけど、やっぱりフレディの声。さすがに全盛期の高音は出ないにしても。

 仮にボーカルってのが単なる楽器ではないとするなら、音楽という形式を通じて人間の情動に届く能力が指標になると思うんです。もちろんそこでは楽器としての性能も重要なんですけど、それ以上に言語化できない「わけのわかんねえ部分」みたいなのがあって、その両者を兼ね備えているボーカリストというのは本当に少ない。いまさら俺が気張って言っても意味ないことではありますが、不世出のボーカリストというものが存在するとするなら、やっぱりフレディ・マーキュリーみたいな人のことを言うんだと思いました。

新しいかたちのコンビニ

 コンビニにおけるアマゾンの受取って激増する一方なんですけど、この状況を見て前から思ってたことがあるんですよね。

 俺は現在、ちょっと地獄のように忙しくて、生鮮品以外はほとんどアマゾン頼りの状態なんですけども、俺の場合は職場で確実に受け取れるからまあいいんですけど、そうじゃない人って自宅配送は厳しいわけじゃないですか。それもあっての店舗受取ってことだと思うんですが、まあ潜在的には「自分で買いに行かずに通販で済ませたい」という欲望は強い。はず。なんによらずですけど、あらゆるサービスって手間を減らす方向に動いてるのが現状で、移動距離とか時間とか、すべて圧縮の方向に向かってるわけで、その究極が「自宅から出なくても生活できる」ということだと思うんです。それで引きこもるということじゃなくて、移動とかの時間のロスを極限まで減らして、あとは自分の生活のための時間にするっていうことですよね。

 そもそもあれなんですよ。人間の生活には無駄が多すぎる。いま洗濯してて思ったんですけど、考えてみるとこんなアホな行為もないですよ。個人で服買って、洗濯して繰り返し使うわけじゃないですか。その一方で、Tシャツなんて、ある程度の質のものであれば、西友行けば1枚300円とか400円のものが売ってる。ファッション的にはともかく機能的にはそれで充分で、洗濯するコストってことで考えると、もはや使い捨て、は言い過ぎでも、数回着て新品に交換したほうがコスト低いんじゃないかと思う。

 人が自分の洗濯物をすべてクリーニング屋に委託するようになれば、クリーニングって一大産業になってコスト下がるはずです。だったら衣類なんか配給制にして、クリーニング屋に汚れものを出して、かわりにそこで洗濯済みのものを受け取るほうが社会全体としての効率は激しく上がるはずです。

 ……というのはまあ、ファッションってものにまったく興味がない人間の戯言なんですけども、なんでも集約化すれば効率が上がるってのはまちがいない。

 通販中心の生活ってのを考えたときに、効率化の最大の障壁になってるのって、まちがいなく自宅配送だと思うんです。いわゆるラストワイマイルですよね。これが不要であるとなれば効率は劇的に上がるはずです。

 そこで思ったんですけど、たとえばアマゾンみたいな会社が直営店を作るとして、その店舗での受取であれば配送料は無料、自宅への配送であれば規定の配送料がかかるっていうふうにすればどうかなーと思って。んで、店舗には生鮮品、ないしすぐに食えるものだけを置いておく。

 こうすることのメリットはいくつかあります。

 ひとつは、個別配送がなくなることによるリードタイムの圧縮ですね。これはかなり圧縮できるんじゃないかと思います。現状でもお急ぎ便なんかは頭おかしいんじゃないかと思う速さで届きますけど、自宅配送抜きにすりゃそこはもっと短くなる。ルート配送ってのは、やっぱ次元が違う効率なんですよ。

 次に、品揃えの大半をアマゾンならアマゾンっていう通販の業者に頼ることができるわけなので、店舗での品揃えは少なくて済みます。コンビニとかあのへんの店舗の人的運営コストのかなりの部分は陳列なので、ここが半減すれば人件費を削れます。おそらく常温の食品なんかは一掃できるんじゃないかと。

 そんな店舗で一般のコンビニに太刀打ちできるかどうか問題ですけど、ここはアマゾン直営店舗のみ配送料無料とすることで圧倒的な差別化が図れます。ある程度のリードタイムはあれど、徒歩圏内に無双の品揃えを誇る店舗が鎮座してるのと同じ状況ですから。

 コンビニは、現状でも昔よりはかなり省力化が進みまして、同じ売上でも少ない人件費で運営することは可能になってますけど、それでも限界はあるんですよね。おそらく次に実現するのはレジの完全無人化だと思うんですが、それが実現しちゃったら、もうできることないです。なにより陳列の機械化が無理。現状で存在してる技術で考えるなら、たぶん夢物語です。なにか陳列に関して革命的なパラダイムシフトでもあれば話は別でしょうが、しょせん「人間が買う」という肉体的な制約がありますんで、一定以上の革命ってそこには起きないはずなんですよね。店舗面積が広大なら話は別でしょうが、そうすると今度は人間の足が疲れますし。

 人間の数はゆるやかに減少していきますけど、劇的ってほどには減少はしていかない。一方で働き手の数ってのは、こっちはわりと劇的に減少していくことが予測できます。つまり「より少ない人数で」「多くの人にサービスを提供」ってことになると、どうしたって省力化は避けられない。

 完全な無人店舗っていったって商品補充の手間はあるし、俺は自販機的な店舗って方向性にはわりと否定的です。というのは、人間は年とればとるほど、人間を求めるようになるんだろうなあというのが、長年大量の人間を見てきた俺の素朴な結論だからです。それもおそらくは生身の人間。俺自身は自分のこうした想像が否定されることを望んでるんですが、人が人と会ってしゃべりたいって欲望はかなり絶望的に根深いものだと思っています。年寄りにとって「直接に会って話す」って生存報告なんですよ。たぶんそこってインターネットにもどうにもできない部分だと思う。

 というわけで、俺の妄想としては、可能な限り品数を絞って、雑用を減らした店舗で、人間がカウンターに座ってて、客が来て世間話をしつつ、商品は勝手に自動で精算される、というような未来です。

 

 あーそうそう、もうひとつ、現状のコンビニのシステムではこれ以上の省力化は厳しいなあと思うのは、店を維持するためにはある程度の売上が必要で、ある程度の売上があると、一人ではかならず処理しきれない部分が出てくるからです。カスタマーサービスといわれるものを全廃すればどうにかなるんですけど。また、省力化のために設備を整えれば整えるほど、今度はチェーン本部の負担が増します。そうすると店舗側での利益の割合を下げざるを得ません。なので、省力化のための設備投資っつったって、なにか天地がひっくり返るような革命ってたぶん難しいんじゃないかと思います。現状でもよほどうまいことやらないと生活できるだけの利益って出せないですから。

 ってなことを考えると、もうフランチャイズってシステムじたいがどうなんだろうって話になるんですけど、それはまあ別の話ってことで。

 なおこの文章で書いた「アマゾン」は別に「ヨドバシ」でもなんでもかまいません。現状の通販業者の代表ってことでアマゾンにしただけです。

パシフィック・リムって映画見た

 今日は時間があったのでうちの奥さまと映画を見ることにしてたんですが、映画にはあいかわらずうといので、ツイッターで「なにみよっかー」みたいな話をしてたら「パシフィック・リムで」といわれたのでそうしました。

 そんでさっき見終わってきました。

 俺は映画に関して知識がないし、まして特撮にも巨大ロボにも詳しくないんですけども、とりあえずめったやたらにおもしろかったです。以下感想となりますけども、あくまで「映画にも特撮にも巨大ロボにもとりたてて愛情がない」人間が書いたものだということを念頭に置いといてください。

 

 いやー、わけわかんない映画っすね。

 およそなんつーか、かっこよさってのがない。くどい。すべてが過剰。ロボットのデザインそのものは比較対象がないっつーか、こっちに審美眼がないんでよくわかんないんですけど、コックピットのデザインと動かすシステムみたいなのですよね、あれはかっこいいものなのだろうか。なんか作業場みたいなのもそうですけど、絢爛豪華にしてくどくてやりすぎでださい。ださいとまでは言い切れないんだけど、かっこいいのかと問われると「……どうなんでしょう」みたいな途方にくれちゃうような感じ。

 なんかこの「かっこいいのかどうか」っていう判断に迷う感じって映画全体に漂ってた気がします。画面の向こうではこれこそが最高だと思ってやってるんだけど、見てる側ではどう受け取っていいのかわからん、みたいな。ああそうそう、デコトラみたいなセンスがあります。LEDできらきらしててなんかすげー、見ようによってはかっこいいのかも?と思うんだけど、同時に冷静になってみると「あれはアリなの……?」ってなるような感じ。

 しかもそれが悪い印象ではないんですよね。完全に突き抜けてる。「そこまでやられたらもうかっこいいと思うしかないじゃん」っていう圧倒的な説得力が画面からこれでもかと飛び出してくるんですよ。

 全部乗せって感じもします。天かすでも油揚げでもとにかくなんでも盛っとけ!っていうような。メインはとうぜん巨大ロボットと怪獣の戦いなんですけど、なんかとつぜん殴り合いとか始まるし、棒で戦ったりするし、それほんとに必要なの?って言いたくなるんだけど、なんかもう出てきちゃったらしょうがない、受け入れるしかない、という謎の勢いがありました。

 それとキャラの濃さ。みんな過剰なまでにわかりやすい。学者二人の異常なキャラ立ちは言うまでもないんですが、後半に出てくる謎の中国人商人もたいがいだし。このキャラのくどさは、一面で「人間のドラマとしてはどうなんだろう」みたいな感じを受けないでもないんですが、そういうとこ気にする映画じゃないですからね。わかりやすさ第一。

 というような複数の要素が絡んで、全編これ山場といわんばかりの異常なテンションがありました。なんていうか「俺がいいと思うもの全部突っ込んだ」というような。そのせいかなんなのか、大まかなストーリーとしては隙がないと思えるのに、個々の要素とかつながりだけ見ると、ツッコミどころ満載にも思えるんですよね。しかもそれが欠点じゃない。楽しさにつながってる。

 

 あと特徴的だったのが、ロボットの動きはやたら日本っぽいのに、人間の動きはアメリカっぽいところです。海岸かなんかで踏ん張るとことか、大気圏外(あ、ほんとに行っちゃうんだってびっくりした)で刀みたいなの出してきたところとか。あのシーンは爆笑しました。爆弾の話が出てきたところからもう自爆オチしかないのではと思ったんだけど、ほんとにそうなるあたりとかもなんかすごい日本っぽい。

 反面で、ヒロインの子供時代(日本人ですよね?)の演技なんかは、子役であるせいか、妙にアメリカっぽいんですよね。とぼとぼと歩くとことか、眩しくててのひらで遮るあたりとか。あれは日本の実写作品じゃああはしないだろーと思った。

 

 ほかの人の感想とかぜんぜん知らないんですけど、これは俺でも日本の特撮映画とかアニメの影響下にある作品だなってのはすぐにわかりました。とにかく、わかりやすくて、派手で、強烈にアクの強い作品だったな、という印象です。いや、ほかのハリウッド作品なんてほとんど知らないんですけど、これはふつうの人間に出せるアクの強さじゃないと思う。

 見終わったときの最初の印象が「雑」だったんですよね。もちろん高度に計算された雑さではあるんですけど、その大雑把で派手な感じが強く印象に残りました。

 最近見た作品ではバーフバリ以来のわけのわからなさで、やっぱり2時間っていう枠だとこういう圧倒的な濃さって見せるのに重要なんだなーと思った次第です。はい。

最前線にいること

 キズナアイに関する話題をちらっと眺めてて、俺のなかではあれは世代間闘争ってことでかたづいちゃったのでもうどうでもいいんですけど、ふとそれに関連して思ったことがあったので書いておきます。

 俺はそのキズナアイとやらをほとんど知らないわけですけど、もう反発してる層ってのは「要はアニメ絵が気持ち悪い」っていうことでいいんじゃないかと思うんですよ。ただもうその価値観って現代の基準にほとんどあってないわけで、あわないものを振り回すから反発されるわけです。

 俺自身「男らしく」とかそういう旧来の価値観にえらい苦しめられたほうで、そういう経験や、いまのネット上でのいろんなバトルなんか見てて思うのは、そういう現代にあわない価値観みたいなのが一掃されるのって、もうそういう価値観を抱いてる世代が死ぬしかねえと思ってんですよね。いずれ死ぬし。48年間生きてきて、それはもう、ほんとに思う。実際、ほっといても世のなかってのは変化してくわけですし。

 俺はもう大きな舞台でなんか大声でしゃべることってたぶんないし、なくてもぜんぜん問題ねーやと思うようになったのは、その状況のなかでことさらに自分がなんか言う必然性を特に感じなくなったからです。いいかげん50近い年齢になってなんかまだ書いてるってのは、たぶんその人の抱えてるテーマらしきものがそれをさせてるはずなんですけど、それでいうと俺のテーマってのは世のなかでなんか発言する方向には向かってなかったってことです。

 なんていうんだろ、なんかしゃべるということ、その声が人に影響力を与えるってのは、その人の持ってる能力だけの問題じゃなくて、たぶん大きなものの流れとか、そういうものとの兼ね合いみたいなのがあるんじゃないかと思います。その兼ね合いってのは多分に個人での制御は難しいもので、唯一その流れのなかで影響力を持ち続けるには、おそらく最前線で戦い続ける以外の方法がないんじゃないかと思うんです。そんでもう、戦いって意識持ったら負けなんですけどね。

 最前線にいるってのは、当事者だってことなんですよ。当事者が時代の流れ(いやな言葉だな……)とのあいだでたてる軋みの音みたいなの。そういうのが説得力を持つ言葉ってやつで。この当事者感を忘れたおっさんにできることがあるとするなら、たぶん有能な藁人形くらいのもんだと思います。そんで俺はもう、時に軋みみたいなのは感じなくなったんで、言えることがなくなってしまった感じです。まあ巨乳全盛の時代に物申したい気分とかないではないんですけど、そういうのってあくまで俺個人の適応の問題だし、そして個人の問題である以上、書く必要がなくなっちゃったんですね。

 要するにめんどくさいだけなんですけど、このめんどくささが人の加齢を促進すんだよなあたぶん。でも俺そういうのに逆らう気あんまないんで。最終的になんか読んで「おもしろい」と思ってりゃそれで満足な人間なんすわ俺は。