天体のメソッド10話まで

 俺ほんらいはこういう話とあんまり相性よくないんですよね。基本的に「仲間」というものがよくわからない。「みんななかよくにっこり」というのが頻繁に出てきますけども、これほんとに意味わかんないんですよ。たいていこういうテーマの話って、アレルギー出てきてうんこ漏れそうになる。

 でもこの作品に関しては、そういうのぜんぜん出ないんですよね。

 中学生とか高校生くらいの群像劇っていうことで、比較の対象として凪あすとかあの夏とか、まあそのへんを思い出すわけです。でもあれらの作品とこの作品は決定的に違う。この話は「おとぎ話」なんです。

 というところまでは思いついたんですけど、この「おとぎ話」という定義は俺が勝手に決めたものであって、今度はその定義がうまく説明できない。

 それはなんだろうって考えながら見てて、10話を見終えるころにようやく気がついたので、ブログ書きに来ました。

 

 実に単純な話で、中学生や高校生の群像劇の場合「変わっていくしかない」というのは、規定事実なんですよね。つーか現実だから。変わってどうなるのか、どこに行くのかは知りませんが、まあ時間は動いてるんで、とにかくどこかには行くしかないわけです。その通過点である性質こそが、この年代を扱った群像劇の存在意義のひとつでしょうし。

 それはそれで見てる俺は殺されたりするわけなんですけど、でもふと思うんですよね。そりゃそうでしょうと。変わるしかない、そうあるしかない。そんなことはわかってんですよ。わかってんだから、いまさらそんなもん見せつけんなって話。

 このお話では「みんななかよくにっこり」というのは、単純に願いであり、祈りであるわけです。それがかなったらハッピーエンドなんです。お話の構造上、そうなってる。ノエルの存在がそれを補強する。そうしたおとぎ話を作り上げるために、妥協のない設定を積み重ねる、こういうやりかたが俺はたまらなく好きなんですよね。

 なんだろ、願いがかなうっていうのは、人の時間において、一瞬の隙間みたいなもんなんですよ。なにしろ時間は流れていくので。その隙間を極大化して結晶化させたような物語が大好きなのです。そういうものを俺は「おとぎ話」と定義していて、きっと、連綿とそういう物語を愛してきたのだと思います。

天体のメソッド6話まで

 やーはるかなレシーブ最高ですねー。レズの波動で俺の腹が波打ち、醜悪な怪物――リヴァイアサン――が蠕動を始めています。クール開始前はどう考えてもヤマノススメサードシーズン一択だったんですけど、今季はもうはるかなレシーブで確定ですわ。

 で、それはいいんですけど、一週間に一話しか来ないわけですよ。あたりまえなんですけど。ああ、来週のかなたはどんなめんどくさいことをして、どんなちょろい解決をしてくれるのかな、レズはもっとすごくなるのかな、お話が進むにつれだんだん日焼けが進行して日焼け跡とかはっきりしたらもっと好きになるなあとか考えつつ、一回の放映につき5回くらいかなたを視姦したってやっぱり一週間は長すぎる。

 というわけで、ふととうとつに目についた天体のメソッドを見始めたわけです。

 や、久弥直樹作品は、少なくとも商業作品に関してはすべて持ってるくらいのファンではありまして、ただアニメとなるとスロースターターの印象が強すぎると、それとあの作者、原則として恋愛あんま興味ないじゃないですか。となると、俺がアニメを見る際の主な原動力となる「女の子かわいい」があんまり発動しないわけです。実際のころ、Kanonのいにしえから「女の子かわいい」という俺の定義とはだいぶずれる作者ではあったので。

 でまあ、最初は「見てないし、まあ」くらいの感じで見はじめまして、それで、例によってスロースタートなんすわこれが……。1話2話くらいまでは全部布石なんで、お話が動き出すのは3話くらいからなんすよね。

 これ、俺の知らない謎の技術で成立してる作品なので、俺はちょっとうまく説明できない感じなんですけど、なんていうのかな、山場というか、見せ場みたいなものがあるとするじゃないですか。それって作る人によってさまざまだと思うんですけど、たとえば人間と人間のぶつかりあいであったり、恋愛的瞬間(吉野朔実……)だったり、まあ、なんていうんだろ、だいたい平穏に処理されるべき日常のなかに、沸き起こってくる「ドラマ」の瞬間のようなものですよね。それを見せるのが本当にうますぎる。

 この例でいうと「白痴」なんかがすさまじかった記憶があるんですが、まあそれはさておき。

 要は、山場ってのは、人間関係のひとつのどん詰まりであり、同時に次へのステージの発端なわけです。そしてそれを表現するためには、それぞれの登場キャラクターの前史とでもいうべきものが必要で、それをどう要領よく準備するかってことなんですが、この作品、その準備と、そして爆発したときの爆発力がすごい。脚本は、もちろん言葉で成立してるわけなんですけど、たぶん書いてる人は言葉なんか信用してない。どうやったら削り取れるのか。それしか考えてないに違いない。

 だからもう、無駄なシーンなんてなにひとつないんですよ。

 俺がもともとこの人のファンだっていうのはさておいても、これだけシーンにおける起爆力の強い作品となると、ちょっと凪のあすからくらいしか思い出せないような気がする。

 

 でまあ、やっぱりKeyの初期のころのことを思い出してしまうんですよね。そりゃポールマッカートニーもいまの時代になってビートルズが云々いわれたら不快なんでしょうけども、やっぱり規模の大小はあれど、なにか著名になった団体ってのは、個性の違うツートップがいて、俺にとってやっぱり麻枝准と久弥直樹ってすごい好対照なんですよ。

 実はCLANNADやってないんで、これ語るのもどうかなーとも思うんですけど、ある時期までの麻枝准って人が天才だったってのは、もう俺にとって疑う余地がないんですね。具体的にはAIRにおける観鈴ちんと往人の会話とか。あれはもう、極論するとキャラクターの背景もなにも必要なくて「あの場所」「あの時間」に「あんな感じの人たちが存在する」という前提条件だけで、あとは言葉だけですべてを構築してしまうような部分がある。俺はいわゆる思い出補正とかが極端にかかりにくいタイプの人なんですけど、それでもAIRにおけるあの会話のいくつかを越えるものを、少なくともエロゲという土俵で俺は見た記憶がないんです。

 対するに、久弥直樹のこの構築力ですよ。

 これがKey在籍当時から顕著だったとまでは言わないですけど、少なくとも傾向としてはそうだった。

 こういう二つの才能が、ひとつの場所に集結してたって状況は、つくづく不思議ですなー。俺わりとそういうの好きなんですよね。ビートルズしかり、ザ・スミスしかり。基本的には音楽にも小説にもゲームにも「作った人」の存在を嗅ぎ取ることはしません。積極的にそれを避けるほうなんですが、なにごとにも例外ってのはあります。

 異質の才能が、ひとつの場所に存在している。これ、ロマンなんだよなあ……。

ネトゲ嫁17巻

 最新刊読みました。ネタバレなので未読で読む気のある方は回避。

 どうでもいいけど、感想書くときに、著者のエゴサだけが怖いんですよね……。何度か言ってることなんですけど、俺はよくも悪くも書いてる人に自分の存在を検知されたくないのです。以前は検索を殺す設定にしてたこともあるほどに。かといって、検索エンジンから外すと、今度は感想を求めてる人の場所には届かない。めんどくさいことです。

 というわけで、空行がわりに文章で埋めました。

 さて、長い作品にしかなしえないことってのがあると思います。今回の新作はまさにそれでした。

 今回、瀬川回だったわけですが、瀬川ってキャラに関して説明すると、まず「男どうしの友情」みたいなものに憧れてる部分がある。で、その裏返しとして「女としてのめんどくささ」みたいなものを忌避してる部分がけっこうあるんだけど、おそらくそのへんはわりと無自覚の領域。「自分がそうはなりたくない」という意味では自覚的なんだけど、他人のそういう部分にはわりと寛容、みたいな。

 そのうえで、負けず嫌いであり、かつ体がちっちゃいということで、そのへんはコンプレックスだったりするんだけど、かといってそこに折り合いつけるだけの強さとか前向きさみたいなものもある。おそらく著者もそのつもりで書いてると思うんですが、友だちとして「すごくいいやつ」なんですよ。

 この初期設定を考えた時点で、著者がどれだけ自覚的だったかはちょっとわかんないです。キャラの行動とか心理の描写において、相当にブレがなく正確な著者なので、おそらくは念頭にあったと思いますけど。

 そんで、設定上の縛りですね。この作品ではアコっていう正ヒロインは最初から(たぶん最後まで)絶対に揺るがない。ハーレム的な描写を入れるつもりもない。で、この縛りのなかに瀬川ってキャラを入れるとどうなるか、と。

 よい小説って、ある意味でキャラを実験動物のように扱うところがあって、今作における瀬川の言動は、まさに実験動物としてブレがないです。もちろんここに至るまでには積重ねってものがあって、それは、瀬川が主人公に好意を抱いてることはわりと自明なのに、それを表立って言う気は絶対にない、ということです。そうしたなかで、主人公と瀬川の関係というものを何冊にもわたって積重ねてきたからこそ、今作における瀬川がひときわ輝くわけです。

 まあいってみれば、瀬川のポジションって、あの夏で待ってたりするアニメの青い子にあたるやつなんですよ。同じクラスの女子で、片想いで、報われることがない。あのアニメやってたころは、俺はもうちょい観測範囲が広いタイムラインにいたんですが、いやもう、なんていうか、ひどかったですね。全員とはいいませんけど、かなりの人間が青い子の不憫さに雪崩を打って死んでいく感じで、俺たちはなぜそこまで報われない片想いをする同じクラスの女子が好きなんだと。それはね、学生時代に報われたことがないからだよ、という真実を言うと、俺を含めて周辺数クリックの範囲の人間が全員死ぬといいます。

 青い子との比較でいうと、瀬川が違うのは、もう腹が据わってることなんですよね。この作品においては、アコっていう正妻が揺るがしようもないくらい固まってるので。いわばその状態から瀬川とルシアンの関係は始まってるわけです。だから好きになってもしゃーないという前提なんだけど、にもかかわらず好きになってしまう。瀬川がルシアンに対して恋愛感情を抱いてるっていう描写は作中で一度もないですが、まあセッテさんあたりの言動から、公式設定と見ていいでしょう。

 瀬川のアンビバレンツは、ゲーム内ではルシアンとシュヴァインは「相棒」であって、その関係性を瀬川自身が気に入っていてだいじなものだと思ってるっていうことです。それを崩す気がないのは瀬川の意志であり、実に筋が通ってて強い子なわけですよ。だからといって思うところがなにもないではない。それが今作では、あのデートのシーンであり「アコには負けたくない」という態度です。自分を強く制御しているだけあって、瀬川自身に逃げ場というか、隙間みたいなものがないんですよね。その隙間をうまくかいくぐって描写してきたあたり、著者の手腕が光ります。

 うまい作品って、描写にダブルミーニングというか曖昧な部分をもたせるんですよ。説明ではなく描写です。物語であることの強みってそこにある。あたりまえなんですけど、人間の内面はシンプルじゃないです。でも行動は、一度にひとつのことしか選べないじゃないですか。デートのシーンにおける瀬川の内面ってかなり複雑で、その複雑さを説明したってしゃーない。だからデートのシーンにずっしりとした比重がかかるように物語が構築されていく。長い作品にしかできないことがあるっていうのはこのへんで、いままで積重ねてきた瀬川とルシアンの関係性があるからこそ、あのデートのシーンが成立するわけです。

 今回、俺が唸ったシーンっていくつもあるんですが、いちばんうまいと思ったのは「やっぱアコが居る方が落ち着くわね」っていう瀬川のセリフです。もうここに集約されてる。説明するのも野暮ですけど、瀬川はアコを裏切る気は毛頭ないわけですよ。けどそうはいっても、ルシアンと二人きりっていう状況では、抑圧してたものが蠢動を始めるようなよくない感じがある。アコがいれば、諦めはつくんです。おそらくそれは諦めというよりはもうちょっと前向きな感情ではあるんですけども。

 そしてさらに唸らされるのが、ルシアンのモノローグとして「確かにアコが居る方が落ち着くかも」と言わせてるところです。これはもう、瀬川の幸せを祈る立場の人間であれば、壁に頭突きしたくなるようなところですね。ま、ルシアンとしては、瀬川に恋愛感情を抱いてないというのは、裏も表もなく真実なんですよ。だから二人きりの状況が落ち着かないんだとしたら、それは瀬川の側の態度が妙だからなんですね。そうではあるんですが、ここで「もしアコが存在しなかったなら」ということをどうしても考えてしまう。早い話が脈アリなんですよね、ルシアンの側からしても。このへんの扱いはほんとに微妙なところで、その微妙なところをこういうスレスレの描写でうまく乗り切った著者の力量には感嘆します。どう考えてもアコより瀬川のほうがいいじゃん……。いや、俺は別にアコが嫌いなわけではなく、むしろ好きなんですけども、そうはいっても、考えちゃうじゃん、これ。もしアコがとつぜんいなくなったらどうなるんだみたいなこと。なんかあれだよね、瀬川だと変に意地になって「アコを裏切るような真似はできない。たとえここにいなくても」みたいな感じで結局はなにも起こらないような気もすんだけど。

 

 とりあえずあれだ。アコとルシアンがいちゃいちゃしてるときの、瀬川の諦めとも憧れともつかないような、微妙な苦味のある感情を缶詰にしたら死ぬまで食い続けるなあと思いました。不意に二人きりになっちゃったときとか、うかつにルシアンのことを目で追っちゃったあととかの気分の切り替えの瞬間とかを切り取ってパウチにして朝から晩まで眺めたい。この17巻にいたるまで瀬川がついたため息の回数を知りたい。そのため息をボンベにつめて俺の体内に注入したい。オチがつかない。帰ったらアニメ見よう。結局まだ見てないんだよあれ。

ネトゲ嫁読んでた

 最新刊を買ってすぐ読むことってあまりなくて、そうこうしてるうちにネトゲ嫁が3冊くらい未読のがたまってたんで、1巻から読み直してます。正式名称は「ネトゲの嫁は女の子じゃないと思った?」だったかな。いまぐぐったらそうでした。俺の記憶力もなかなか捨てたものではありません。悲しい。

 まあなんていうか、ラノベどまんなかみたいな作品ですね。1巻から読み直して気づいたんですけど、作者、めっちゃうまいです。1巻からほとんど完成されてるといっていいです。気楽に読める楽しいラノベが読みたかったら、まあおすすめなんじゃないかと思います。

 あ、以下内容ひどいです。

 

 で、正ヒロインにあたるアコなんですが、おっぱいでけえです。おっぱいでけえけどかわいいので受け入れられます。なんで受け入れられるかと思ったら、作中で露骨におっぱいにズームインした描写がほとんどないんですよね。単純に事実としてでけえってのは表現されてるし、イラストはまあ、わりとその筋では有名な方なので、それなりのボリューム感になってるわけですけど、やっぱり俺は巨乳そのものがいやというよりも「それを強調する」というような描写が苦手なんだと思われます。アコかわいいです。

 そうそうそれで最近はなぜかとつぜん「さくら荘のペットな彼女」のアニメなんか見てるんですけど、ましろめっちゃかわいいです。金髪ロング無口無表情要介護同じ学年の女子とか抵抗できるはずないです。てゆうかまあ、うまるでもそうなんですけど、お世話しないとどうにもならない女の子をものすごくかわいいと感じる奇癖があります。手間がかかればかかるほどかわいいです。

 アコもわりと同系列のヒロインです。

 でまあ、アコかわいいのはいいんですけど、どうも俺の執着の矛先は瀬川に向いてるようです。あのポジションがもう最高なんすよ。同じクラスの女子なのに友だちっていうポジション。あれがもう、たまんねーでゲス。

 俺がこの作品を信頼してる理由のひとつが、瀬川の立ち位置なんですよね。読み直すまで気づかなかったんですけど、いちおー6巻くらいまではラブコメ参戦の余地は残してあったみたいなんです。まあこの作品の場合、アコっていう正妻が死ぬほどがっつり決まってるんで、参戦したところでいいことなんもないんですけど。まあ瀬川のほうで主人公に対してある程度の好意があるのはまちがいないところとして、ただそれは「なんでも話せる友だち」としての主人公を失ってまで貫くものでもないわけです。というより、瀬川にしてみれば、その感情を表面化させてあまりいいことがない。本人にとってもそうだし、アコに対しても、主人公に対してもあまりいいことではなくて、瀬川はたぶんそのことを自覚してると思うんですよね。まあ13巻以降読んでないので、そこから先どうなっていくのか知らないんですけども、11巻の時点では、瀬川のそうした感情を、作品が裏切ってない。瀬川をラブコメ参戦させれば、それだけで数冊分にはなりそうなのに、やらないんですよね。いい作品だと思います。

 それにしても主人公と瀬川の関係はたまんねーですね。俺は確かにアコがめっちゃかわいいと思うんですけども、同時に主人公ではないので、瀬川に好意を持っても問題ないわけです。すると、背とかちっこくてすごいかわいいのに「友だち」のラインを越えない同じクラスの女子というものに自分がものすごい執着を抱いていたことに気づいたりする。恋愛関係じゃなくてもいいんですよ。バカなこといって、いつまで一緒にいても飽きなくて、性別の意識とかあってもいいけど、単に「そういうもの」でしかなくて。でも、ふとした瞬間に、たとえば並んで歩いてたら瀬川のつむじとか見えちゃって「そういやこいつも女子なんだよな……」とかでふと意識しちゃったりするじゃないですか。その「あれ?」っていう恋愛未満の違和感みたいなもの、それを睾丸いっぱいに吸収したいんですよ。

 で、そうこう考えてるうちに、友だちのぱんつってすごい概念なんじゃないかと思えてきました。友だちなのに女子なんですよ。すごいじゃないですか。ハブニング顔騎めっちゃされたいじゃないですか。それまで友だちだと思ってたのに顔騎の一発で世界観が裏返るわけですよ。それで家帰ったら死ぬほどオナニーするじゃないですか。するんだよ。わかれよ。そして死ぬほど後悔して、翌日学校で会ったら気まずくなって、なんとなく友情に亀裂が入ったりして、いつのまにか距離ができて、気がついたらその女子に彼氏とかできてんですよね。もうなんか、血の底に叩きつけられたような絶望的な気分になりながら、5年後もそのぱんつの思い出でオナニーしてんですよ。あのとき言っておけばよかった、もっとやりようがあったはずだとか後悔しながら。

 というところまでワンセットで妄想なんですけど、そもそも俺の学生時代には、とつぜんの大雨で濡れてしまったブラウスの下に透けて見える瀬川の細い体のラインでだいこうふん、みたいなイベントすらなく、つまり5年経っても執着オナニー、というようなイベントすらもなかったわけで、そのことじたいが、いまだに俺をこうしたラノベだとかエロゲだとかそういうものに執着させているような気がしないでもないです。

 とにかく俺の「同じクラスの女子」的な存在に対する執着はかなりひどいものがあって、俺ガイルだとガハマさん、ということになるわけです。そんなにおまえはガハマさんが好きなのかと問われると、圧倒的に小町かいろはす派なんですが、同じ空間に俺が存在していたとしたら、オナニーは圧倒的にガハマさんでする。ただし使用済みのうわばきが入手できるならガハマさんよりいろはすのほうがいい。もう俺の基準がだれにも伝わらない感じがある。くつしたなら小町のが欲しい。

 ……というようなことをここ数日考えていてふと思ったんですけど、俺が寝取られ系の作品をスルーしつづけたのって、ある意味で奇跡のような気がします。

 なんていうんですかね、関係性において、たとえば妹とか後輩とかは、それを補強する担保みたいなものが(幻想とはいえ)ある。それが俺の妹キャラへの執着の理由なんですけど、その担保がない同級生だと「最初から手に入らない」が前提になってるんですよ。それゆえ執着のしかたがおかしな具合に捻れてるんじゃないかなあと思いました。

 同時に、この年齢まで俺がオタ系の作品に執着してられるのは、30年近くにわたって積み重ねた圧倒的な欠落が原因なんじゃないかなあと思います。

夏が来る

 タイムラインで「半夏生」とかいう単語ぶちこみやがった方がいらっしゃって、じゃあってんでラムネのED聞くじゃないですか。GooglePlayMusic、起動がくっそ重いんでめんどくさいからYouTubeで聞くじゃないですか。んで油断してると自動でナルキのBGMとか流れてくるじゃないですか。夏じゃないですか。死にます。今日の夜からサマポケやろうと思ってんですけどね、なんかあれAIRから続く「夏」の総決算に来てるような感じあって、やったら死ぬんじゃないかなーってやる前からなんかナーバスになってんのもあるんですけど。

 そんでまあ昨日からラムネEDとかスカーレットとか聞いてほぼ死んでるんですけど、あまりに死んでるんでまちがって「青春のアフター」まで思い出したように読んでみてよけい死んだ。あと、一度更新するとブログのこと思い出すってのもありまして、なんとなく文章を書いています。

 

 ナルキ、実は一作目しかやってないんすよね。続きも3作目かな、そこまでは持ってんですけど、2の冒頭だけやって、これもういいやと思って。内容がおもしろいおもしろくないじゃなくて、最初のやつがあまりに完璧だったんですよね。

 ナルキ一作目は……たぶんもう5回くらいは読んでんですけど、内容はあんま記憶してないです。なんかさんざんテキストも書いた気がするし、いまさら別に書くこともないような気もします。いまもインストールしたままだし、そんなに時間かかるもんじゃないんで読み直せばいいようなもんなんですけど。

 青春のアフター、相当に読み込んでて、そんで、そうやって死ぬほど読み込んだ作品って、あとになって思い返したときに「全体の印象」みたいなのがぼやーっと浮かんでくることあるんですよね。あれは俺にとっては「妄執の物語」なんですけど、あのラストのわりに妄執がなにも昇華してねえっつーか、なにも納得してない感じがある。

 で、同様にナルキって物語をぼやーっと思い浮かべるんですけど、あれはなんだろ、なにもないんですよ。セツミ先生が死んだっていうこと以外。そりゃまープレイ直後はかなり荒れた記憶があるんですけど。

 

 Duca曲では「アイの庭」なんかが聞くとかならず涙腺ぶっ壊れるやつなんですが、祈りとか願いとかそういうのにすごい弱い。生まれてきたことじたいを祝福される、というような概念に徹底的に壊される傾向があります。まあこれはわりと単純で、育ちの悪い人にありがちな「おまえなんて産むんじゃなかった」をたっぷり浴びて育ったというのが原因だと思うんですけども。

 Kanonでいうと真琴シナリオ、それとAIRですよね。あのへんで俺がやられがちなのは「せめて」っていう言葉に集約されてるような気がします。なにもかなわなくていい「せめて」これだけは、というような。だれもがあたりまえのように持っているものに手が届かない。「せめて」これだけはと、それだけでも手に入れられれば笑っていられるかもしれないのに、でも届かない。それは願いっていうことなんですが、自分が手に入れることを諦めたら、それは祈りになるんじゃないかと思うんです。

 ナルキにはそれがないんですよね。諦めてる。そりゃ死ぬんですから諦めるしかないわけですけど、読み手の祈りや願いすらもあのラストで完璧に粉砕するわけじゃないですか。じゃあなにが残るかっていったら、それはもう純粋にセツミの生きてきた時間だけなんですよ。すごく正しい。

 正しければ、まあだいたい忘れます。だけど忘れないんだよなあ。忘れないなら、なにが残ってんだよって話なんですけど、なんなんですかね。

 たぶん人に5年10年と残るような鈍い衝撃を与える作品って、たいていそういうものだと思うんですよ。

 

 夏が来るんだよなあ。今日も暑い。