「あれが欲しかった!」

 すいません。また青春アフターの話で恐縮です。アクセス数の推移を見るに、更新があるとちゃんと読みにきてくれる方もいらっしゃるみたいなんですが、そのとき書きたいことしか書かないので、一度ひきずったものについてはえんえんと書き続けるはめになります。

 

 いや、4巻の逃避行なんすけどね。ああいうのにとことん弱くて。何度も読んでるわりにちゃんと把握してないんですが、さくらがタイムスリップ後に出現して、あの逃避行に至るまで、大した時間は流れてないんですよ。でもさくらの雰囲気というか、キャラみたいなのは大きく変わってる。これは不安定というより、そうさせるだけの経験が短いあいだにあったからです。ああいうの、なんだろ、さんざんいろんなことがあった末に、たったひとつだけ手に入れたもの、みたいな描写には死ぬほど弱い。

 古い話で恐縮ですがどうせおっさんしか読んでねえと思うのでまた引きずり出しますが、Kanonでいちばん好きなキャラはたぶん文句なく名雪(あ、20年以上の年月のはてについに認めた)なんですけど、シナリオ的には圧倒的に真琴なんですよね。そしてその真琴シナリオが内包してたテーマはそのまま観鈴ちんにも引き継がれていて、あれって要するに「だれもが持っているつまらないもの」を求めた人の物語なんですよ。それが手に入ったにせよ、入らなかったにせよ、バーターとしてほかのすべてを失う。あれはそういう物語です。それほどまでにして欲しいものが、本来だれもが持っているというこの構造に殺されるわけです。ま、これ悲劇の典型的な構造ではあるんで、そういうのに弱い人は決して少なくはないんでしょうけど。

 そして俺はどうやら、そうした「ほかのすべてとバーターにして」手に入れたかけがえのない閉じた場所、のようなものを「楽園」と定義しているらしい。そしてこの作品のそれは、4巻の逃避行であり、実は作者はこれを描きたかったんじゃないか、というくらいに幾重にも周到にここに至る流れを用意しています。でまあ、楽園は幻想であるからこそ美しいってのは、それはもうほんとにそのとおりで、おそらくここをオチにした作品は、俺にすら不完全燃焼をもたらすと思うんです。

 でも、それでもどうしても願ってしまう。「あぜあのままではいけなかったのか」と。

 最近の日記で「欲しいものがなくなったらオタクは終わり」というようなこと書きましたけど、きっと俺はいまでも「これが欲しい」んだと思うんです。同時に俺は、現実においてそれを諦めた年齢が極端に早かった。なにもかも始める前に諦めた。その諦めてっていうのは、47歳になった現在まで自分を束縛するような性質のものだったらしいです。だからこそ温存できた。だからこそ逃げられなかった。まあそういうことなんでしょう。

 俺はよく物語を摂取することを「ジャンクフードを食う」なんていう言葉で表現します。まあジャンクフードでも麻薬でもなんでもいいんですけども、この「求めても絶対に得られない」性質のものを欲しいと願いづつけるからこそ俺は物語の摂取をやめられない。そして物語はいくらでも供給されつづける。薬物で自分を駆動してるような状況ですよね。

 考えてみりゃやりたいことってたいていやってきたんですよ。会社員としては働けねーなーと思って独立したら、まあそこそこ軌道に乗ってるし、文章書くの好きだから好評したら読んでもらえたし。まあまあうまくやってきたし、得られたものは多かったはず。仕事はさておき、俺は得られたものに極端に執着が少ない。その理由って、結局は「これじゃない」というところから来てるんじゃないかと思うのです。

 まあここのところでねー、俺シロクマせんせの書く文章って基本的に好きで、ああいうふうに隙なく組み上げていく文章って俺には書けないし、にもかかわらずときどき隙全開で書いちゃうところもわりと好きだったりします。ただ「成熟」とか「大人になる」とかいうことでいうと、俺、完全に失敗したなにものかなんですよね。じゃあ「なにもの」なのかといえば、その答えはどこにもない。

 まあなんか、よくわかんないものなんですよ。この先もたぶん。