ネットにおける自由とやら

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  ようやくシロクマせんせに絡める話題が見つかったぞー。いやほら、自分の興味のない話題で絡んでもしょうがないから。これはおもしろいなーと思った。

 というのは、俺は「古い時代のインターネットを知っている」「そこそこ有名になったことがある」「いまは無名」といういろんな立場を経験してるから。ブコメでは「どこのインターネットの話?」みたいなのも散見されるが、これは完全にシロクマせんせのインターネットの話であると思う。

 もともと俺はかなり書きたいことを好きに書く人間である。意図的にそうしていた部分がすごくある。ホッテントリとかで数万の単位の流入があるタイミングを狙っていかに女の子のおしっこすばらしいか語るエントリをぶちこんで一気にアクセスが下がるのを見るのは非常に楽しいことであった。ただしやりすぎたので現実に影響が出た。ふろむださんのエントリも見たんだけど、俺の場合はネット上でのふるまいが現実に影響出たパターンである。

 ただこれも、どうなんだろ、たとえばPVで1日1000くらいのときとかってそういう面倒なことってあまり起きなかった印象で、日に1万越えてくるあたりから「本来意図してないところまで届いてるな」という感じがあった。月間で100万となると、もう完全に制御できない感じ。放流したはいいけど、どこに行くんだかはもう俺にもわからん、みたいな。

 俺にとっては仕事のこともようじょのことも同じように重要なので、どちらもいっしょうけんめいに書く。もちろん俺とてもこどもを欲望の視線で見てはならぬという常識が存在することは知っている。しかし俺の古いインターネット観では「書いたにしても実際にはそういうことはやらんという暗黙の諒解は共有されてる」という思い込みがあった。なにより自己認識に問題があった。

 俺のネット上の自分に対する認識は、端的にいうと「なに書くかわからないロリコンのオタク」である。読む人もそういう前提で読むものと思っていた。しかしPVが1万を越えたころから、どうやら俺には別の役割が課せられたらしい。その役割とやらを俺は自覚していなかったのでまちがった、ということだろう。つまり、名前が売れたら自己保身は絶対に必要だ、というのが俺の感覚である。同時にこのことは、匿名性を担保するだけのリテラシーが俺になかったということも意味するわけだが。

 おそらくふろむださんが「ネットは自由」というときに、このへんのことは前提条件としてあらかじめ入ってるんじゃないかと思う。そしてそれはたぶん正しい。ところが俺と来たら、身の回りで起こったことは片っ端から文章化したいし、文章化するならおもしろく書きたいし、書いたからには一人でも多くの人に読んでほしい。リテラシーもクソもねえ、俺は書きたいんだという欲望だけで動いている。もちろんそういう人間は現実でも受け入れられない。いってみりゃ異物である。そして俺は異物のままでインターネットにのさばった過去がある。その過去を更新することがないままに来てしまったというだけの話である。

 それで俺が最終的に選んだのは、信用できる身内だけのツイッターの鍵垢である。これは正しかったようで、俺は実に快適にそこで過ごしている。まあそれでも長文書きたくなったらこうやってのこのこと出現するわけだが。

 まあそういう対処方法を選択できる、というところまで含めて、インターネットは自由であるという言いかたは成立すると思っている。

 要は「ふつうに他人に話してドン引かれるようなことはネットでも言うな」というだけの単純な話であった。つまんねーなーとは思うものの、俺みたいな人種はもともと日が当たる場所に出てはいけないものでもある。いってみれば、単にネットが普及する以前に戻っただけである。初期のインターネットのような異空間があって、俺みたいな物体がのさばれたほうがむしろ状況としては異常である。

 ところでmixiが最適解っていうブコメ、あんがいあってる。あれすごく便利よ。