恨みを延命させる作業

 実のところいつブログがファイヤーすんだかびくびくしながら更新してるところはあるわけですが、あんがいそういうこともないようなので、ちょっとほっとしてる今日このごろであります。こんな益体もないブログに1日50人とかのお客さんが来てくれるのは嬉しいことです。

 ふと思いついたので更新しときます。

 いや、ツイッターの鍵垢なんか閉じこもってると、なかなか人間の環境が更新されないんですよね。そうすると学生だった人が社会人になってたり、彼女ができてたり、結婚したりとまあ、いろんなことが起こるわけです。そんでまーそれなりに前向きにがんばったり、うまくいかなくて悩んだりいろいろしてるわけなんですが、そんななかにあって俺はひたすら女の子がかわいいであるとか妹とこんなことしたいだとかエロゲの実況だとか、そういう発言ばかりを繰り返しております。俺だけが進歩しないとかそんな感じ。

 まあいってみれば四十代も後半になってそんなことばっかやってる人って完全におかしいんですけども、俺は本心からそれが楽しいからやってるわけです。ただここに至るまでには「俺はフィクションを摂取するにあたっては、絶対に成熟しない」とどこかで決めていたような感じはあります。つまり「楽しめなくする」要素を自分のなかから排除しつづけてきたような、そういう精神の運動があったんじゃないかと。わりと無自覚なんですけどね。たぶんなんですけど「批評はしない」「作品の周辺情報は拾わない」「作者、メーカーなんかについてはまったく考慮に入れない」っていう俺のやりかたは、いつでも単なる消費者でありたいというあたりから来てるんじゃないかと思います。楽しむにあたって、不純物にあたる(と俺が考えるもの)はいっさい自分の内部に入れないと。まあそんなような。

 とはいえ、自分で書いたように、根底に「飢え」のようなものがなければ、これは続かないわけです。なので、楽しみつづけてるということは、自分の内部の飢えだとか恨みみたいなものを延命させる作業でもあったはずです。なにが楽しくてそんなことやってるのかはわかんないですが。

 まあ、これ自体が一種の恨みのような気がしないでもないです。「俺になにも与えなかった世界のことを否定する」というような。実際はわからんですけどね。