停滞したおっさん

 というわけで仕事のやる気のなさについてです。

 現状では俺は、仕事についてもう新しいことを始める必要はなくなっています。すでにやるべきことはやってしまって、あとは「右肩下がりにならない」というところまで含めてルーチンになってしまっているからです。つまり、仕事において難題とかあまり出現しない状況で、頭を使う必要がありません。

 そして俺の環境では「あきらかに自分より優れた人」というのが出現する機会があまりないです。俺は、自分を含めて仕事に関わる人間は、すべて仕事のための道具であると考えており、それゆえに人の能力というものにはわりと敬意を持つタイプです。また単純に自分より頭のいい人間が大好きなので、そういう人を見かけると飛んでいって噛み付いて教えを乞う人間でもあります。逆にいうと、そういう人が周囲にいないと人間に飽きます。自分の観測範囲で、人間が想定の範囲内でしか動かないというのはなんとも退屈です。

 別に俺が賢いとか言いたいわけではないです。単純に想定外の「なるほど、その考えかたがあったか」っていうのがだれからも出てこないのがつまらないだけです。

 まあ俺は人の感情には疎いし、人から距離をとられがちなタイプだということもあって、感情の面では予測のつかない行動を取る人もいないことはないんですが、それは別におもしろくない。現象としてはおもしろいこともありますが、そこからなにか新しいものに結びつくような性質のものではないので、やっぱすぐに飽きます。

 なんでまあ、ここから先は、どうやって自分なりに新しい課題を発見して、それに向かって頭を使っていくかっていう勝負になるんですけど、生活も別に不自由ない状況でそれをするだけのモチベーションがないんですよね。ブログを人に読まれるかたちで再開したのも、このへんが理由だったりします。少なくとも以前のブログをやっていたときには、おもしろい人たちと知り合うきっかけがあったので。

 四十代って年齢は、わりとこういうところで立ち止まってしまう人と、さらに大きな課題にチャレンジできる人とに分かれていくようなところがある気がしています。大きい組織に属しているってのはメリットもデメリットもあるんでしょうが、たぶんこういう点では「際限なくチャレンジしていける」メリットがありそうな気がします。所属したことないからよく知らないですけど。まあ責任だけ過剰にかかってきたら、今度はあっさり事切れたりするのかもしんないですけど。

 仕事に限らず、鮮度の高い自分であるためには「この世界にはまだ知らないことがたくさんあり、自分にはまだできることがあるのだ」という謙虚さみたいなのは絶対に必要だと思うんですよ。そのうえで自分にできることを自覚して動く。かつてだったら包皮がむけても絶対に言わないようなことなんですが、実感として、自分が停滞している状況でそう思ったって事実を偽ることはできないです。

 俺は人間の精神とか気力とかそういうのほとんど信用してないです。わりと簡単に体調に左右されたりするし、結局頭だって筋肉みたいなもんだと思ってます。継続して使ってりゃそこそこ調子よく動くし、さぼれば動かなくなる。仕事で肉体を酷使する必要がないなら、自分で筋トレしなさいよね、というまあその程度の話だと思います。

 まあ、俺は子供がいないのとか、あと運営してる組織がそこまで大きくないということもあって、のしかかってくるもの、自分を束縛するものがかつてと比較して相対的に少なくなってるんですよね。一種の真空状態。その真空状態をどう活用するかは自分にかかってるわけです。

 まあなんだろ、あれなんすよ。脳がごく一部しか動いてないような気がして、その状態は気持ち悪いわけです。かといって、特にやりたいことなく、やるべきこともなく、まあそんなような現状だと思います。

 どうすっかなー、50歳以降まで生きられるとは思ってなかったからなー。