平等とやらについて俺が思うこと

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 なんかこの手の話題って別に俺が主張しなくても、ちゃんと書いてくれる人いるからどうでもいいやと思ってたんだけど、ひょっとしたら俺が書くことでだれかには届くかもしれないってことで、なんか書いてみようと思う。なお俺はべんきょうとかあまりしないタイプなので、あくまで自分がこう思うってだけの話である。

 俺はまず、人間には個体差があると考えている。頭のよしあしにしろ体力にしろ、恵まれている人とそうでない人がいる。なので、平等ってのはもともと不自然きわまりない概念であると思っている。本来だったらヒャッハーな世界になるはずなんですよこの世界は。

 じゃあヒャッハーされる側はどうなのと。そいつもまた人間であり、ヒャッハーされたら生きていくのつらいでしょと。そういうことで掲げられたのが平等という概念であるわけで、もともと人間が平等であるためには配慮とかいろいろ必要であると思っている。

 だーいぶ昔に見たテレビのドキュメンタリーかなんかで、ほとんど寝たきりで動けない子供を普通学級に入れるためにがんばる親、みたいなの見たことあるんだけど、ありゃだれも幸せになれねーなと思った。というわけで「どこまで」を平等とするかっていう話になると、これはもう俺の手には負えない。漠然と思うのは、だれかが「こうしたい」「こうありたい」と思ったときに、それをかなえるだけの余力みたいなのが社会には必要であり、その余力が分配されることで平等ってのは達成されるということだ。それは金の問題だけではない。

 たとえば俺はド近眼である。メガネがなければ日常生活はとうていおぼつかない。しかし俺は別に区別も差別もされることなく日常生活を送っている。それは近眼の人間が決して少数派ではなく、かつ社会参加することを前提にこの世が回っているからだ。しかし冷静に考えてみると、メガネないと2メートル先の人間も識別できないとか、これどんだけのハンデだよと思う。

 もしメガネが存在しない世界になったら、と思うのだが、あんがい慣れの問題でどうにかできることはけっこうあるんじゃないかと思う。けど俺は車の運転ができないだろうし、電車に乗ろうにも時刻表はとうてい見えない。特に高いところに時刻表があったらお手上げで、そうしたら近くの人に「すんません、次の急行はいつ来ますか」と尋ねるくらいしか対策がない。俺に質問された人は「かわりに時刻表を見る」というコストが発生するわけだが、そのコストを支払うことがそんなにおかしいことではない状況であれば「ある程度は」平等は実現できている。それを実現するのは、見える人が持つ「余力」である。

 とまあ、俺が思うに、平等の実現とはこんなところである。実際には近眼はやたらたくさんいるから、対策は発達する。車椅子の人も絶望的な少数派というわけではないから、それらの人たちも駅が利用できるようにする。階段を3段飛ばしで駆け上がるような男子高校生と同じことができるはずもないが、まあ多少めんどくさくても車椅子で電車で移動することはできる。途中どうしても自力では越えられない段差があったら、だれかが助けてくれる。

 まあこんなようなのが俺が考える「平等」の原風景である。

 そう考えると、リンク先の増田の言ってることはよくわからない。やれる人がやれることをやりゃいいだけであり、やれない人は別のことやりゃいいだけである。いまの世のなか、完全に筋力がものを言う仕事というのはさほど多くはない。仕事柄、いろんな職業の人を見るけど、たとえば工事現場なんかでも女性はずいぶん増えた。トラックの運転手なんかも女性はかなりいる。機械化が進んだりなんだりで、単純な筋力に頼らなくて済むような状況が進展してるわけだ。

 最初に書いたとおり、そもそも平等とは不自然なものだ。世界がヒャッハー状態になったら強姦だとかいまより確実に増えるだろう。しかしこの世界は男女は平等であるという方向に動いている。なぜなら女性も人間であるからだ。女性専用車両というものが存在するのは単純に男女平等が実現できていないからである。電車での移動において、男女の違いは意識される必然性がない。人間が移動しているだけである。人間が移動しているだけなはずなのに痴漢という犯罪があるからああいうものが必要になる。

 要は、男女にしろ、民族の違いにせよ、その違いが意識される必然性があるときでなければ、人間はただの人間である。それ以上でも以下でもない。もっといってしまえば、性別なんかまったく無意味である。現実には違いがあるだろう。たとえば生理休暇なんてものは男性には原則として必要ない。しかし生理休暇なんて思うから話がおかしくなるので、要は体調悪い人間は休めって話である。男性が風邪をひいたときと同様に。じゃあ女性はそのぶん社会参加の機会を奪われるべきで、給料も安くなるべき? いやー、違いますね。女性なんて近眼以上の多数派じゃないですか(いや、わかんない。ひょっとしたら近眼の人のほうが多いのかも)。だったらどうにかすんですよ。社会全体で。

 そうした「ちょっとできない」「ちょっとつらい」「たいぶ厳しい」なんかの条件をどうにかするために、大きくは政策だとかそういうレベルで、小さくはちょっとした手伝いとか気づかいとかそういうところまで、大きく含めて「みんなでなんとかうまく、楽しくやってきましょうや」ってことだと思うんですけどね。もちろんそこにはさまざまな困難があるんでしょうけど、そりゃそうっすよ。そもそも不自然なことなんだから。その不自然さを受け入れる気がないのなら、その人はだれかを差別できるかわりに、自分が予測もしてない方向から、しかも自分ではどうにもならないことで差別される可能性があるってだけで。

 そして、なんだかんだみんな平等という旗のもとでうまくやってこうやって世のなかになってる以上、まあそうしたほうが自分も楽だし、めぐりめぐって自分にもいいことあるんじゃねえのくらいの話です。