「癒やされる」という搾取

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 大前提としてゆるキャンでなにも起きないってのは論外。王道少年漫画的な視点でいえば、まあなにも起きてないっちゃ起きてないので、見方の問題ではあるんだけど。ストーリーってのは状態Aが状態Bに変化することであり、そのAからBへの変化に見ている人がなんらかの情緒的な意味を見出すということだ。その変化が小さければストーリーの起伏は小さくなる。しかしお話作りの手法としてはさほど違いがない。

 ゆるキャンの場合、ストーリーの線はいくつかあるんだけど、ものすごく大雑把にいえば「しまりんとなでしこがなかよくなりました」というだけのことなので、AとBの差異は極めて小さい。その小ささがゆえに「なにも起きてない」と解釈する人はいるだろうけど、その変化を説得力のあるものにするための仕掛けは細かい。

 俺が引っかかりを覚えるのは「癒やされる」などの意見のほうだ。

 効能としてそういうものがあることは否定しない。んだけど、昔から、それこそ「癒やし」というような言葉が流行しはじめた2000年あたりから、この言葉にはずっと違和感があった。この引っかかりかたは「エモい」という単語に対するそれとわりと似ている気がする。もっとも「エモい」という言葉に関しては自分内部での定義ができてしまったので、もう引っかからないんだけど。

 かわいいものがかわいいことする、という状態にほわーってなるのは、俺にもその傾向は強くあるのでまあ理解できないではない。だけどそれを「癒やし」という言葉で表現することに強い抵抗がある。その抵抗を言語化するのが難しいので、わざわざこうやって文章書いて考えてる。

 ぱっと思いついたのは、俺の物語というものに対するスタンスに抵触する考えかただからだと思う。

 俺には物語を「ここではないどこかでの現実」と考えたがる傾向が強くある。それは現実的なものが好きだからではなく逆である。「ここ」が好きではないから「どこか」があってほしい。ものすごく強くそう願うので、その世界は人が生きていくに充分なほどの強度を持っていてほしい。「ここ」で人間を好きになることができないからこそ「どこか」で生きている人間を好きになりたい。だとしたら、その人間は好きになるに充分な強度を持っていてほしい。その人間は、笑いもすれば怒りもするだろう。ときどきは醜くもあるかもしれない。それらをひっくるめて人間である。

 しかし別にリアルの完全な引き写しである必要はない。というかあってほしくない。まことに残念なことに俺は「かわいい女の子」を主食として生きる人間である。なのでその「どこか」には、かわいい女の子が充分な強度を持って生きていける条件を完備していることのみを要求する。

 なんか話がずれてきたな。要するに俺は「癒やされる」というこちら側の効能はあくまでこちら側の事情であって、作品の世界では、女の子たちもけっこうがんばって生きていると考え「たがる」傾向があるのである。そこで「癒やされるわー」とか言い出すと、なんか一方的な搾取であるように感じる。ポルノの一種であるかのように感じる。「癒やされるわー」言った瞬間に、しまりんはたとえなにをやっても「かわいい」の支配下に置かれるだけのマスコットのようなものになってしまう「ような気がする」。しまりんのいきものとしてのかわいさの強度を否定するものではない。しまりんはなにやってもかわいい。ひょっとしたらうんこしててもかわいいのではないか、俺はついに越えられなかったスカトロの壁を越えて向こう側に行けるのではないか、そう思った一瞬すらあった。なぜ越える必要性を感じたのか。別に越えなくてもいいだろう。いやそれはどうでもいいんだけど、キャンプ場に到着できなくなりそうだったしまりんは本当に焦っていたはずだし、温泉が営業してないと知ったときのしまりんは心の底からがっかりしたはずだ。癒やされると口にした瞬間、そうしたときのしまりんですらも「かわいい」に奉仕する道具になってしまう。そんな気がするのだ。もちろんストレッチするしまりんはかわいい。あれはアニメ史上におけるもっともかわいいストレッチのシーンであると断言してもいい。俺はその「かわいい」を貪欲に消費しよう。

 しかし同時にしまりんはけっこう男前でもある。決断の速さや、動じない感じ、なでしことしまりんの組み合わせなら攻めは絶対にしまりんである。なんか話がずれまくるなさっきから。とにかく「癒やされる」と言った瞬間に、そうしたしまりんの性格の一部すら上から目線的なもので消費されてしまうような感じになるのが、なんかいやなのである。

 伝わったであろうか。書いてて伝わりそうな感じがまったくしない。

 

 あとどうでもいいのですが、日常系のアニメを俺が見るいちばんの理由は、もともと俺に「女の子の日常生活を窃視したい」という強い欲望があり、そのためにいちばん都合のいいメディアが日常系アニメだからです。つまり盗撮です。盗撮に必要なものはストーリーではありません。しかし日常を担保するものはストーリーなのです。キャラクターは、静止した時間のなかでは単なる設定でしかなく、ストーリーの波のなかに存在していて、はじめて「その瞬間」のキャラクターも定まる。単なる盗撮にもストーリーは必要なのです。ただしあまりに生々しいと俺が死にます。

 この文章中で言ってることがいくつも矛盾してるんですが、自分のことながら、そこまですっきりとは整理しきれてないということなんだと思います。