恥じたくない

 今日も今日とてえろげやってるっていうか、途中でゆあだいありーと星メモを放置した状態でなぜか金色ラブリッチェを再読しています。シルヴィア王女、ひょっとしたら灯里お嬢さま越えてきたかもしれない……。どうも個別のセックスしてるだけ感が悪印象として残ってたみたいです。少なくとも王族とつきあうっていうごたごたがけっこうてきとーに処理されてた感じがあって、あれは肩透かし食らった感じがある。

 

 というのはあんまり関係ない話で。

 ふと思ったことがあったんでブログ書きにきました。俺は現在もこうやってエロゲやってて、充分に楽しいわけなんですが、その「楽しい」というのをことのほか強調する傾向があります。誤解のないように言っておきたいのは、楽しいのはまちがいないです。むしろこれがなくなったら本当に困る。俺はもともとインターネットにおいてきわめて言葉数の多い人間ですし、おもしろいと感じたならそれを叫ばずにはいられないという傾向はもともとあります。ただそれだけじゃないなあという気がちょっとする。

 なんていうのかな、この年齢になると世間様のほうからいろいろな縛りが出てくるし、実はその縛りに乗っかって自分を定位させたほうが楽だっていう感じもけっこう出てくるんですよ。周囲がおっさんとして扱ったらおっさんとして振る舞えばいいし、周囲の人間は、小なりといえども権力者として気をつかってくれたりする。じーさんになるに近づいてこの状況は加速していくわけで、いってしまえばそれなりに働いてきた人間としてやりたい放題になっても、限度を越えなければ問題ないわけですよ。

 でもなんだか、そういう状況に対して強い反発心がある。言葉にすると「加齢? は? 大人? ふざけんなよ世のなかがどうであろうと、俺は自分のやりたいことしかやんねーし、他人が与えてくれた権力なんざクッソどうでもいいんだよ」みたいな気分。周囲がどういおうが俺は俺のままであり続けるぞ、みたいな反発心ですね。巡りめぐって考えると、自分を受け入れなかった世間というものに対する反発心かもしれません。エロゲ楽しくてなにが悪いよ、世間がどう47歳を扱おうが、俺はその事実を叫ぶことをやめねーぞ、それを恥じろという世間に対して「絶対に恥じるもんかよクソが」みたいなの。

 もうひとつは、証明してみたい気分があるんですよね。俺が見てきたおっさんたち、じーさんたち、そうした人たちはどこかで落ち着いたり、また落ち着かざるを得なかったりして、おとなげなく振る舞うことはあまりなかった。仮にそう振る舞うにしても、大人としてのコードを踏み外さない限りにおいての大人げなさに過ぎなかった。

 俺は幸いにして「こういうものを好きな自分」に対して、外部からの影響を極小に抑えられる状況にある。だとしたら、人はいつまでエロゲみたいなものを楽しめるのか。あとから来る人たちに対して説教するんじゃなくて「安心しろ。アラフィフになっても王女様のおしっこシーンないことでマジギレできる人間は存在する」ということを示しておきたいというか。

 これはたぶん自分にはロールモデルがなかった、ということに由来してると思うんです。少なくともかつてオタクであるというのは非常に肩身の狭いことだった。そうじゃないんだと。楽しめるし、楽しんでいいんだし、楽しみつづける。そのまま爆笑しながら死んでやるつもりだから、あとから来る人も安心していい、というような。

 もっとも、現在の十代二十代だとそもそもそのへんの蟠りってなさそうなんですけどね。結局は好きだからやってるし、書きたいから書いてるし、それも含めて自己顕示欲ってやつなのかもしれないです。

 まあそれでも別にいいのです。人からなにも強制されることのない、このブログという場所では、俺はやりたい放題を続けるということです。まあ「そういう人間がいた」という事実を残したいってのはあるんでしょうねえ……。

 つーか昨今の状況見てると、実際にエロゲってかなり高齢層向けの娯楽じゃね?って気はする。