鳩羽つぐの動画見た

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 こちらの文章と、あと過去の記事を見まして、鳩羽つぐというものに興味を持ちまして、公開されている限りの動画をすべて見ましたが、ちょっと言語化しづらい衝撃があって言語化できません。つーかこれ書く前に3500文字くらい書いたんだけど、まとまらなくなって、俺にしては極めて珍しいことに、ゼロから書き直してます。

 まず最初に、俺の把握のしかたは世間のそれとはかなり違うということを言っておきます。俺はバーチャルユーチューバーというものに興味がありません。なぜなら人間がやってるからです。このへんの「なぜ人間がやってるのが無理なのか」っていうことに関して、かなりの文字数を費やして書いたんですけど、根本的には、俺はアニメのキャラに声優がいるということに違和感を覚えるタイプだってことです。同じ理由で実写の映画もほとんど見れません。最近は見れるようになりましたが。

 なので、リンク先でいうところの「パーソン」が明示的であるようなものは、軒並み無理で、そういうメディアだというのは承知していたので、そもそもバーチャルユーチューバー的なものは、ひとつも見ていません。

 そういう人間が書く文章ですので、ほかならぬ「俺は」この鳩羽つぐというキャラの動画を見てどう感じたのか、ということを書きます。ただし、扱うテーマがでかすぎるし、そのテーマを十全に表現できるだけの力が俺にはないので、いろいろとっちらかる予定です。

 

 いちおう公式が「バーチャルユーチューバー」と名乗っている以上は、たぶんそうなんでしょうが、俺はこれ、まったく異質のものだと思います。ほかの見たことなくて異質だって断言すんなよって話ですが、そう感じたんだからしゃーない。理由は「中の人」性が徹底的に抑制されていることにあります。

 これはあれかなあ、初音ミクを最初に見たときの衝撃に近い。確かに歌っている存在は、絶対的には「ある」というのに、そこにはだれもいない。あれは衝撃でしたねー。ただまーボカロの場合「メルト」以降「あーこれはただの歌手になってくんだな」とか「結局のところ質においてナマの歌声には対抗できないだろうな」っていう予感がなんとなくあって、特に後者の質という点においては、どうにもならなかったわけです。いずれにせよ、物語の力というのはすさまじいもので、キャラクターと声が与えられ「歌う」という行為まで与えられていれば、あとは人間がよってたかってそこに物語を与えて「どう消費するのか」という方法論を示されるまで、さほど時間はかからなかったような感じです。

 さて、この鳩羽つぐというバーチャルユーチューバーなんですが、実のところキャラクターがどんな感じであるかとか、そういうことはどうでもいいです。まあたまたま外見は俺の好みですけど(ロリコンなので)、そういうことではなく。

 一連の動画を見たときに最初に感じたのが「吸い込まれる」という感覚だったんですよ。で、この感覚がなにによって惹起されてるのかなと考えたんですけど、密室感ですね。動画からは、徹底的に「他人」が剥ぎ取られている。ならばそこにいるのは、俺と、動画のなかの鳩羽つぐだけです。ディスプレーの向こうの女の子が「振り向いてくれた」というのがいちばん近いんだろうか。

 俺が「なんかこれやばい」と感じたのは、キャラクターの存在のしかたが、これまで俺が見たいかなるものとも異なっているからです。

 たびたび書いているように、俺が消費しているのは「架空の女の子」です。俺は物語というものを心の底から愛していますが、反面、女の子を消費するためには物語というのは邪魔だったりもします。女の子を消費するうえで理想の方法って、たとえばアニメだと、女の子の部屋にしかけられたライブカメラなんです。俺の存在なんか察知してほしくない。その女の子とセックスできるとしても、する当の俺が自分自身をあまり好きではない。俺が関与することでむしろキャラクターの聖性を穢してしまう。そういう感覚が俺には根強くあります。

 そうでなくても、俺には、物語というのはひとつの小宇宙であるという感覚が強いです。メタ的な言及が嫌いなのもそのためです。

 ただ、厄介なことに俺には「女の子を消費したい」という欲望が強くある。とはいえ、作品世界を自分という存在によって壊すわけにはいかない。こうした矛盾を解決する方法として俺が望んだのが「女の子の部屋に仕掛けられたライブカメラ」というものだったんじゃないかと思うんです。この次元においては、ストーリーも設定も、消費すべき女の子を立体的にするためのツールでしかないです。同じ盗撮するなら「なるほど、こういう女の子であるか」ということを納得したうえで盗撮したほうが、よりリアルに勃起できるという寸法です。勃起は比喩です。この年なのでそう簡単には勃起しません。その文章いらないよね。

 この場合の盗撮とは、純粋化された欲望そのものです。物語と俺との接点は欲望のみとなる。欲望を抱いているということ自体が相手の実在を証明できる。この態度は、信仰なんかとわりと近い。

 最近では聖地巡礼なんて言葉で完全にシステム化されてしまってますけど、この気分は俺にも確かにあるんです。海辺の夏を歩いてみたい。それは観鈴ちんのいたあの夏の追体験ではある。もっとも観鈴ちんに実際に出会えることは絶対にない。俺はこういう状況のことをよく「曲がり角の先にはかならず観鈴ちんがいるけど、俺が曲がり角を曲がったときには、観鈴ちんはすでに次の角にいる」というような言葉で表現してました。だとするなら俺にとって観鈴ちんという女の子の存在を証明するのは「求めている」というその欲望だけだということになります。そういうやりかたで、俺は女の子を消費してきたともいえます。

 しかし動画では、鳩羽つぐは完全にカメラ目線であり、あろうことかこちらに話しかけてくる。撮影者の存在は暗示されていると考えてもいいんですけど、暗示にとどまっており、なんなら無視してもかまわない。少なくとも俺の視点では「存在していない」と断言してしまってもかまいません(このへんはたぶん意見が分かれるところなんだと思う)。

 それで俺は驚くわけです。「架空の女の子が俺に話しかけている」と。

 もちろんこれは錯覚です。錯覚なんですが、俺が親しんできたエロゲというジャンルは、この錯覚を可能な限り与えるようにできている。その錯覚を極大化させるとこうなるのではないか。

 エロゲが出てきたついでに続けますと、エロゲでは女の子のリアリティを担保するものはストーリーであり設定です。昨今は特にそうですけど、抜くという目的のためには女の子に思い入れをする必要がある。そのためにストーリーや設定が用意されている。俺の場合、性癖がニッチすぎてエロゲでは抜けず、かわりに「女の子を消費する」という目的に最適化されたメディアとしてエロゲを利用しています。それもこれも、あくまでフィクションであるという前提があるからです。

 しかしその前提を取っ払ったらどうなるか。

 もちろんそれもまたひとつの虚構であることを俺は知っている。知っているが、幽霊に肉体があらわれたがごとく、とつぜん実在を謳って女の子が出現したらどうなるか。こうなると、リアリティなにもあったもんじゃないです。問答無用で「いる」んですから。架空の積み上げでリアリティという「錯覚」に到達するのとベクトルがまるで逆です。

 同時に、それは確実に架空でもある。架空であることによる安心感がある。ここでは欲望は「届く」んです。

 俺はこういうタイプのキャラクターの存在のしかたを、まだ見たことがないです。俺の知ってるほかの概念だと、おそらくアイドルってもんに近いんだとは思うんですが、いくつかの点で鳩羽つぐは違います。

 まず生身を持たないということ。なお俺の視点は、俺固有の「人間に対して欲望を振りかざすことはできない」という理由により、意図的に「中の人」性を無視したものになっています。この点で、多くの人と意見が違うことはあらかじめご諒承ください。

 次に密室であるということ。鳩羽つぐの情報として一次的に与えられているのは動画だけです(だよね?)。営業もしなければコンサートもしない。接点は俺の部屋のディスプレーだけです。ただこの点には疑念があって、この先の展開によっては、俺のこの感覚は裏切られるかもしれません。

 つまり、まったく言及する気がないリンク先の文章でいうと「完全なるパーソンの剥奪」ということです。少なくとも俺はそう感じた。パーソンが剥奪されたら、それは実在しないってことなんですが、相手は実在すると言い張ってる。なら、ありもしないものをこちらは信用するしかない。その信用というものは、ベクトルは逆だといいながらも、結局は信仰の別の名前ではないのだろうか。

 

 とまあ、なんだかわからなくなってきました。

 ただ俺はこの鳩羽つぐの動画というものに、かなりの可能性みたいなものを感じた。俺の欲望に貢献する可能性です。俺は生身でなく、物語にも依存しない「女の子」を消費することができる。

 もっとも、この世は残念ながら経済であり、たとえばこの鳩羽つぐを俺がどう消費するかは、どう提供されるかにかかっている。「俺以外の」人間がどう消費するのかが重要なんですよね。みながみな、俺と同じ消費のしかたをしてるのなら、なんの問題もないです。相互に接点のなければ存在しないも同じで、鳩羽つぐと俺の密室の関係は保たれる。

 でもまあ、そうはならないですよね。俺たぶん少数派だもの。

 また、提供のされかたにもいろいろな問題があると思う。これが「はーい◯◯でーす。趣味は音楽を聞くことでー」とかで元気いっぱいに自己紹介されたらたぶん俺無理。どんなに細かく設定されてても見る気なくす。たぶん鳩羽つぐってこのへんのバランスが絶妙で「盗撮」と「カメラに向かっていること」の境界がかなり曖昧に作られてる。だからこその「振り向いてくれた」っていう謎の感動につながるんですけど。

 実際、この鳩羽つぐ「のようなもの」がこの先どうなっていくのか、そのへんの予測については、界隈にがっつり突っ込んでみないとわかりようがないです。でもまあ、ブームが一段落してなんらかの流れが出てきたころに把握すれば充分じゃないかなと思ってます。

 そんでたぶん、この鳩羽つぐって、異端だと思う。そうであってほしくはないと思うんだけど、ブームの最初期に登場した、偶然とか奇跡みたいなもんじゃないか、という気がかなりします。

 

 なんでもいいから頼む。架空の女の子の部屋に設置されたライブカメラを24時間いつでも好きなときに見れるツール出現してくれ。俺の願望は結局のところそれだ。