価値観のアップデート

rick08.hatenablog.com

 

 これ読んでました。

 くだんの事件にはほとんどなんの興味もなかったんですけど、いちおういま話題のニュースに関しては目を通しておかないと、どんどん内向していってしまうので、なんとなく目を通すくらいはしてました。この記事は、図があまりに明瞭ですげーなーと思いました。

 去年あたりからこの手の事件てけっこう続いてるわけなんですけど、俺はこれとても簡単な構図だと思っていて、単純にインターネット以前/以後の話だと思ってるんです。

 俺は前提として「人間はだれでも似たようなもの」と考えます。オバマ前大統領が現役だったころ「演説のときとか不如意に勃起したらどうするんだろう」って心配してる人がタイムラインにいたわけですが、まあ人間なので不如意に勃起もするだろうし、虫歯になったら機嫌悪くなる。もちろんうんこ力高まったらうんこします。ほとんどの国政の問題よりも「いま、まさに漏れます」ということのほうが緊急事態だったりするわけです。世界中の言語は比較的少ない母音と、それよりははるかに多い子音によって成立してるってのは、人間の発声器官の制約のせいです。それと似て、人間のやることって、どこかでだいたい共通項がある。

 なにが言いたいかというと、絵に描いたような悪人はいないし、善人もいない。比較の問題ではいるでしょうが、結局は比較の問題でしかない、という話です。

 ……と、考える俺なんですが、今回の事件にしても、前の大相撲のことについても、あまりといえばあまりに頭悪すぎるのではないか。バカにもほどがある。そういう事件が多すぎる。今回の件だって、常軌を逸した悪人でないとできないのではないか。そうも思いたくなる。

 ただ俺は、ここで「常軌を逸した悪人とか、完全なバカとかそうはいない」という「前提」で考えるのです。実際にそうかどうかは知らんですよ。けど、なんらかのトップに立つ人間って、完全なクルクルパーではまず成立しないはずなんですよ。むしろ組織がアレであればあるほど、たとえば暗闘だとか権力闘争だとか、そういうので頭使わなきゃいけないことって多いと思う。

 リンク先の死ぬほどわかりやすい図を見ると「よくもまあここまで」と思うしかないし、つまりバカなんだろと思いたくもなる。

 しかしバカではない、ないとする。じゃあなにがわかってなかったのか。

 俺に思いつくのは価値観の違いというものだけです。

 なんでそう思うかっていうと、俺現在ほぼ50歳の四十代のおっさんなのですが、同年代のおっさん見てて「この人は、なに?」って思うことってけっこう多いんです。あくまで俺の環境では、です。俺の環境で見るおっさんは、だいたい高卒で、いわゆるブルーカラーの人が多い。そうでないおっさんはインターネット経由の知人ばかりです。

 で、俺の周囲のおっさんたちもネットをまったく使わないわけじゃない。少なくともLINEはほぼ全員使ってます。しかしスマホからの利用がほとんどでその外側にあるネットの世界というものをほとんど知らない。また、つきあいもほぼ同年代に限られる。

 で、常々思うのが、あの方たちって「拡散」とか「炎上」っていうのが概念として理解できてないんですね。我々、日夜小さいのから大きいのまで炎上の現場を目撃してるわけですけども、その炎上ってのがどういうメカニズムで起こるのかはだいたい知っている。このブログを読んでいる人もだいたいそうでしょう。でも、そういうおっさんたちって「テレビで話題にもなってないことを、なぜみんな知っているのか」という疑問が先に来るんですよ。まあ、この日大の件はテレビでもさんざん話題になってるはずですけど(俺テレビ見ないからよく知らない)、今度は「その事件」に対して、いろんな人が意見を持ちうること、そしてその意見を公表する場があるということがよくわからない、らしい。とうぜん、それらが束になり、ツイッターで拡散し、まとめられたりして、最終的に力のある書き手によってどかんと広められたりする、その光景を知らない。仮になんとなくは知っていたとしても、実感はないわけです。

 さらに、価値観をアップデートする機会がない。ちょっと前のエントリで、オタク差別について書きましたけど、俺の価値観では「オタク的な趣味なんて、密室でやるものであり、その密室はいつ外部の力によって潰されるわからない。守らないと死ぬ」っていう感じになるんですけど、インターネットの現場にいると、最近の十代二十代にはそういう感覚があまりないってことはいやでもわかってくる。だとするなら「俺の価値観はこうだが、そうでない人もいる」という自覚というか、わきまえみたいなのを持たないと、現実とはズレた発言をすることになる。これは俺がブログを再開した理由のひとつでもあります。

 いまいろいろ問題起きてる人たちの価値観ていうと、本音と建前であるとか、正論はともかくうまくやってきましょうとか、なあなあとか、まあいろいろ悪く言うことはできますが、早い話「身内の論理」なんですよね。あえてよくいうなら、個々人の我慢によって全体の利益の最適化を図るとか、まあそういう言いかたもできますけど。

 同じ年代が固まっていて、外部の視線がない、さらに自分らが権力者だったりすると、それを修正してくれる人もいない。なんていうんだろ、おっさんしかいない教室の内部の論理だけで話が回っていたのが、その外部ではものすごい勢いで正論とか反論とか、数えきれないくらいの言説が動いてるんだけど、だれも教室の内部には入ってこない。教室の扉は鍵を閉めてある。しかし、ひとたびその教室からの脱走者が出たらどうなるか。

 昔は、ほかの教室がえんえんと並んでるだけで、廊下に出たらもうどうにもならなかったんですよ。でも現在、すべての教室の扉は開きっぱなしであり、流動性は極めて高く、廊下を忙しく往来する人たち、なんならその廊下を見て娯楽にしてる人たちまでいるわけで「その状況」が致命的にわかってない。

 俺の周囲にいるおっさんたちはブルーカラーといっていい人たちが多いですけど、これたぶん学歴あんまり関係なく、認識や価値観のアップデートがないと、同じ状況に陥りやすいんです。ていうか、俺自身が小なりといえど自営業やってて、環境的に変化の乏しい場所にいるので、疑うこと、知ることを怠ればすぐにでもこうなる危険性が、すぐそこにある。

 俺は、世代論ってわりと有効だと思ってるんですよね。これを論拠にするとすぐにぶっ叩かれる性質のものだとも思うんですが、それでも、時代背景が個人に与える影響って、あんがい深刻なものがあると思ってる。となると、アラフィフのおっさんたちは俺にとって同世代になると思うんですけど、たまに、ほとんど言語が通じてないんじゃないかと思うくらいの隔絶感がある。マウントって取られるといやなんですけど、実際わかんないんですよ。たぶん向こうも俺のことわからない。このわからなさの根底にあるのが、認識や価値観のアップデートであり、そのツールの代表的なものがインターネットである、あるいはあったと。まあそういうことをよく思うわけです。

 同様のことって過去にもとうぜんあったはずなんですけど、それが地すべり的に、大規模に起こってるのがこの2018年という現在であり、今後も類似の事件はたくさん起こるんだろうなあと。そんなことを思った次第であります。

 まあなんだろ、人間50年近くも生きてると、いろいろ不思議なこと起こるなーと思います。