ゆるくなってきた

 この世には「演じてる人」がいるという状態が苦手という人種がいる。少数派ながら、かならずいると思う。具体的にはアニメにおける声優さんの存在である。俺の場合はさらに拗れていて、たとえば実写の映画やドラマは近年までアレルギーに近い反応があった。またエロゲでもボイスは切るというくらいである。さらに拗らせると、ラノベにおける挿絵はろくに見ない、あとがきなんかはまったく読まないなんてことになる。
 要するに、物語と自分のあいだに挟まるもの全般が苦手である。だから声や姿は自分の自由に想像したいし、その物語をつくっている人間がいるという事実そのものが邪魔なのである。もちろんそれとは別に、作り手への敬意はある。ただそれは、たとえば俺がピザポテトめっちゃ好きだとして、たまに「ああ、これつくった人すげえなあ」って思うような、そういうものである。
 このうちアニメに関してはわりと早い段階で慣れた。きっかけはたぶんセーラームーンだったと思う(Rな)。エロゲについてはフルボイスがあたりまえの時代になったので、聞かないのもなんかなーと思って無理に聞いてるうちに慣れた。まあ結局のところ慣れの問題である。
 もっとも「この声はキャラの声」と感じるため、声優さん単位で追いかけることはほとんどない。またエロゲでももともと、自分内部での「声」の占める比重が極端に軽いため、キャラにあわないなと思ったらボイスまるごと切るようなことはわりと頻繁にある。

 しかしここ最近の俺の行動はおかしい。
 定時になると、俺は最寄りとはいえないコンビニに行く。目当てはなにか。まあタバコくらいは買っていくのだが、目的はそれではない。かたずを飲んでスピーカーの真下で待つ。流れてくる店内放送。
「声優の悠木碧です!」
 ああああ……。
 俺はその場で全裸になり床にへたりこんで身をくねらせる(過剰な表現)。
 もともと悠木碧という声優さんについては「紅」の紫をやっているころから個別認識はしていた。なぜかというと俺はロリコンだからである。ただ決定的だったのは俺ガイルにおける小町である。声の質ももともと好きではあったのだが、なにより八幡と小町がケンカしたシーンにおける演技がとても印象的だった。怒って部屋を飛び出していき「やっぱなんかあったんじゃん」っていうところの演技である。兄と妹という関係性を表現していて過不足なく、言葉尻のはてまで完璧にコントロールされている。すごい、と正直に思った。
 気がつくと「悠木碧」で動画検索をかけるようになっていた。
 とうぜんながら、もともど中の人とやらには興味がない俺なので、声優さんがやっているラジオなんかろくに聞いたことがない。人のしゃべる声は苦手ですらある。ほら、たまにいるじゃないですか、ファミレスとかに行くと周囲の会話が雑音ではなくて全部意味のある言葉として聞こえて、めちゃくちゃ不快になるタイプ。俺あれなんすよね。
 でまあ、気づいたのだが、俺はそもそもこの人の声と、あと演技における固有の癖みたいなのが好みであるらしい。
 というような状況が昂じて、ついには行きつけのコンビニまで変えるはめになってしまった。

 ところで動画検索をかけると必然的に引っかかるのはYouTubeである。声優さんの動画なんか見てると、そりゃもう大量の関連動画が表示されるわけだ。休みで特になにもやる気がしなかったのもあって、関連動画を見始めた。
 声優さん本体には興味がなくても、どういう需要があるのか、それに対してどんな供給のしかたをしているのかなんてことは、なんとなく知っている。そういう予備知識もあって聞くわけで、とうぜん素でやってるなんてことは思わない。こういうのはいってみればプロレスみたいなものだ。聞く側はそのラジオを素だと思って消費してもかまわない。人が見ている場に生身のまま登場する人間はそんなに多くはない。なんらかのキャラをまとっているのがふつうであり、そのことを承知で消費するのもまた一興なのだろう。さらにいうと、その背後に垣間見える素をなんとか検知しようなんてやりかたもあるのだと思う。
 俺はといえば「外に向けて人がふるまっているとき、そのふるまいはすべてこう思われたいという欲望の表出である」という「前提」で見る人である。それが100%ではないにせよ、前提にあるのはそういうものだろうという考えかたである。
 そのうち、久野美咲という人の動画に引っかかった。かなり特徴のある声である。あーこれズヴィズダーの人だ。あまりに特徴的なのですぐ思い出した。あれなーものすごくおもしろくなる予感を秘めてたのにすっげー不完全燃焼に終わったよなーなんて思って聞いていると、この人のラジオがすごい。
 ひとくちでいうと、完成体である。声が幼いのはもともとの特徴だから別として、舌っ足らずな発音といい、やたらたどたどしい進行といい、過剰な天然アピールといい、これは完全に地雷である。少なくともリアルでこのタイプがいたら全力で後ろ向きのまま逃げ出す。
 もっともこのしゃべりかたそのものは、最近の十代ではちょいちょい見かける。それが声質によって強化され、さらにキャラの強化としてこうした戦略を採用しているのだと思われる。
 しかし俺はここで妙な行動に出た。ほとんど無自覚である。俺はこのキャラの隙を探さねばならぬ。キャラが崩れて本体が顔を出しているその瞬間を捉えねばならぬ。でなければ安心できない。こんなキャラが天然でいてたまるものか。同じクラスにこんなものがいたら俺は秒で堕ちる。おまえの戦略はわかっているクソックソッなどと言いながら声を録音して一晩中呪いかねない勢いがある。
 俺は必死で数時間、この人のラジオを聞いた。
 その結果わかったことがある。隙は見つからなかった。完璧である。さらに、この人がラジオを始めてから最近に至るまで、5年かそこらの時間が経っているわけだが、どうも最近になるとたどたどしさはかなりなくなっている。本人も「最初のころは緊張がひどかった」と言っていた。そして俺はそのことをどう感じたか。「ああ、成長しちゃったんだなあ、悲しいなあ」などと思っていた。
 ということはである。逆算すれば、俺は最初期のたどたどしかった進行やべたっとしたしゃべりを好ましいものと把握していたことになる。
 アイデンティティの危機だ。
 人には自分を保つために守らなければならない思想というものがある。
 俺の場合、そのひとつが「声優さんとは裏方の仕事であり、その本体には興味を持つ必要はない」というものだった。
 その夜、俺の矜持はもろくも崩れ去った。もうだめだ。イベント会場に行って、この声優さんがなんかやるたび「かーわいーーーー」と声を張り上げねばならぬ。これが敗北の味か。デュフフフゥ悪くない……。
 まあ実際のところ、俺はこの声優さんのことはなにも知らないに等しい。この受け止めかたは完全に俺の側の歪みが影響している。また、なんとなくだが演技に関してはかなりガチな印象を受けた。ここまで書いた内容は、あくまで対象をコンテンツとして見た場合のものである。

 というような俺の事情はどうでもいいとして、実のところ俺は、加齢とともに趣味というのはどんどん硬直していくものと思っていた。たとえば金髪ロングに対する執着はひどくなる一方(これはくりぷこのせいもある)だし、決して新しいものを拒むタイプではないものの、咀嚼するのに時間がかかる傾向は出てきた。最後は老人ホームにてKanon問題で激論をかわしつつ余生を送るのかもしれない。
 と思ってたんだけど、実際はあんがいそうでもなくて、節操がなくなってきたのかなんなのか、いままで興味がなかったもの、どちらかといえば忌避していたものをいともたやすく許容することが増えてきた気がする。
 まあなんていうか、思想ってのは由来不自然なものである。それは杖であり、ときには望遠鏡であり顕微鏡でもあり、また拘束衣の場合もある。おっさんになって「ただ存在してりゃそのうち死ぬでしょ」みたいな感じになってくると、そういうものは脱ぎ捨てやすくなるっていうか勝手に脱げてくる。
 まあこの行き着く先には、自制のきかなくなったじーさんとかが存在するんだろうが、趣味の分野に関しては、自分の流されるままであろうと思う。
 つってもまあそれで休み一日つぶしたのはさすがにどうかなと思いました。