天体のメソッド6話まで

 やーはるかなレシーブ最高ですねー。レズの波動で俺の腹が波打ち、醜悪な怪物――リヴァイアサン――が蠕動を始めています。クール開始前はどう考えてもヤマノススメサードシーズン一択だったんですけど、今季はもうはるかなレシーブで確定ですわ。

 で、それはいいんですけど、一週間に一話しか来ないわけですよ。あたりまえなんですけど。ああ、来週のかなたはどんなめんどくさいことをして、どんなちょろい解決をしてくれるのかな、レズはもっとすごくなるのかな、お話が進むにつれだんだん日焼けが進行して日焼け跡とかはっきりしたらもっと好きになるなあとか考えつつ、一回の放映につき5回くらいかなたを視姦したってやっぱり一週間は長すぎる。

 というわけで、ふととうとつに目についた天体のメソッドを見始めたわけです。

 や、久弥直樹作品は、少なくとも商業作品に関してはすべて持ってるくらいのファンではありまして、ただアニメとなるとスロースターターの印象が強すぎると、それとあの作者、原則として恋愛あんま興味ないじゃないですか。となると、俺がアニメを見る際の主な原動力となる「女の子かわいい」があんまり発動しないわけです。実際のころ、Kanonのいにしえから「女の子かわいい」という俺の定義とはだいぶずれる作者ではあったので。

 でまあ、最初は「見てないし、まあ」くらいの感じで見はじめまして、それで、例によってスロースタートなんすわこれが……。1話2話くらいまでは全部布石なんで、お話が動き出すのは3話くらいからなんすよね。

 これ、俺の知らない謎の技術で成立してる作品なので、俺はちょっとうまく説明できない感じなんですけど、なんていうのかな、山場というか、見せ場みたいなものがあるとするじゃないですか。それって作る人によってさまざまだと思うんですけど、たとえば人間と人間のぶつかりあいであったり、恋愛的瞬間(吉野朔実……)だったり、まあ、なんていうんだろ、だいたい平穏に処理されるべき日常のなかに、沸き起こってくる「ドラマ」の瞬間のようなものですよね。それを見せるのが本当にうますぎる。

 この例でいうと「白痴」なんかがすさまじかった記憶があるんですが、まあそれはさておき。

 要は、山場ってのは、人間関係のひとつのどん詰まりであり、同時に次へのステージの発端なわけです。そしてそれを表現するためには、それぞれの登場キャラクターの前史とでもいうべきものが必要で、それをどう要領よく準備するかってことなんですが、この作品、その準備と、そして爆発したときの爆発力がすごい。脚本は、もちろん言葉で成立してるわけなんですけど、たぶん書いてる人は言葉なんか信用してない。どうやったら削り取れるのか。それしか考えてないに違いない。

 だからもう、無駄なシーンなんてなにひとつないんですよ。

 俺がもともとこの人のファンだっていうのはさておいても、これだけシーンにおける起爆力の強い作品となると、ちょっと凪のあすからくらいしか思い出せないような気がする。

 

 でまあ、やっぱりKeyの初期のころのことを思い出してしまうんですよね。そりゃポールマッカートニーもいまの時代になってビートルズが云々いわれたら不快なんでしょうけども、やっぱり規模の大小はあれど、なにか著名になった団体ってのは、個性の違うツートップがいて、俺にとってやっぱり麻枝准と久弥直樹ってすごい好対照なんですよ。

 実はCLANNADやってないんで、これ語るのもどうかなーとも思うんですけど、ある時期までの麻枝准って人が天才だったってのは、もう俺にとって疑う余地がないんですね。具体的にはAIRにおける観鈴ちんと往人の会話とか。あれはもう、極論するとキャラクターの背景もなにも必要なくて「あの場所」「あの時間」に「あんな感じの人たちが存在する」という前提条件だけで、あとは言葉だけですべてを構築してしまうような部分がある。俺はいわゆる思い出補正とかが極端にかかりにくいタイプの人なんですけど、それでもAIRにおけるあの会話のいくつかを越えるものを、少なくともエロゲという土俵で俺は見た記憶がないんです。

 対するに、久弥直樹のこの構築力ですよ。

 これがKey在籍当時から顕著だったとまでは言わないですけど、少なくとも傾向としてはそうだった。

 こういう二つの才能が、ひとつの場所に集結してたって状況は、つくづく不思議ですなー。俺わりとそういうの好きなんですよね。ビートルズしかり、ザ・スミスしかり。基本的には音楽にも小説にもゲームにも「作った人」の存在を嗅ぎ取ることはしません。積極的にそれを避けるほうなんですが、なにごとにも例外ってのはあります。

 異質の才能が、ひとつの場所に存在している。これ、ロマンなんだよなあ……。