オタクとサブカル

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 話題になってる作品に関しては見たことない。原作の段階からとうぜんロリコンとして気になってたわけで、そもそも自分のオタとしての経歴の原点あたりにママ4とかあるわけで「本来児童向けだったものを俺たちのものとして消費する」という行動には慣れきってる。じゃあなんで見てなかったかっていうと、同じクールにヤマノススメサードシーズンがあっておなかいっぱいだったからなんですけど。まあテレビのほうはバンダイチャンネルで見放題になってるからそのうち見るかも。

 あとですねー、この世にはすでに「俺のための作品」がけっこうあるので、これ昨日書いたことともちょっと関連してるんですけど、本来は児童向けであるっていうその違和感を受け入れてまでわざわざ女の子を消費する必要がないってのもあるんですよね。同時に俺もいい年なのでそこまで飢えてない。食欲落ちたってやつです。

 で、わざわざエントリ書いた理由なんですけど、シロクマせんせが自分のことを「オタクであってサブカルではない」と書いてたことですね。

 いわれてみればシロクマせんせからそういうサブカル臭みたいなの感じたことってほとんどないんですよ。

 このへんの用語の定義ってたぶん荒れるやつなんですけど、でも俺のなかではサブカル的なものとオタク的なものってけっこう明確に分かれてる。分かれてるんだけど、言語化したことってほとんどない。たぶんその行為が自分にとって大した意味がないからなんですけど。それをあらためて考えてしまったのでこうやって書いてます。

 俺にとって「サブカル臭のするもの」って、作品そのものが持ってる性質ではなく、それを消費する人の態度によっています。まず対象となる作品を「直接に」消費するのではなく、メタとして消費するということ。分析の対象、身につけるアクセサリのひとつとして消費するというような感じです。さらに消費の結果得たものを、自分の自意識に奉仕させるような感じ。

 それがいいとか悪いとかいう話はしてないです。俺が苦手だっていうだけの話です。

 なんていうんだろ、エロ漫画とかでもよくあるじゃないですか。最近は雑誌単位では読んでおらず、ほとんどDMMで決め撃ちで買ってるんで全体の状況ってよくわかんないんですけど、エロシーン削ったらそのままアフタヌーンの増刊かなんかに載りそうなスカした感じのエロ漫画。俺ああいうの嫌いなんですよね。なにおまえこれで勃起できんの、と。おまえ自意識がオナニすんの?みたいな感じがある。まあこういう感じってそのままエロゲをエロ目的でやらない自分に跳ね返ってきたりもするんですけど。

 これもまあ先入観っちゃ先入観なんですけど、エロ漫画って要は抜いてなんぼでしょってのがあって「マイナーな雑誌に載ってるとがった表現のマンガを読んでる自分」とかに奉仕するような作品とか全滅しろよって思ってしまう。いっときますけど、これあくまで俺の先入観の話ですからね。

 俺が感じるサブカル臭ってそういう感じがあるんですよ。同じ作品やってても扱う手付きがメタである場合にはサブカルっぽい感じがする。要は「おまえほんとにその作品好きなの?」というような状態。もっともこれってツンデレ的な側面あって、全裸の自分が作品と向き合ってるような状態を表現したくない人ってけっこういると思うんですよね。あるいはそれを表現することに意味はないと考える人とか。いずれにしても「考える」ことのためには題材ってあったほうが便利で、そういう便利さの恩恵を俺だってまるで受けてないってことはないはずなんですが、やっぱ自分の感覚としては「脳で消費してんじゃねえよ。いいか。ちんこだ。ちんこが読むんだ」っていうほうが強いし、そういうやりかたで消費する人のほうが好ましいと思ってしまう。

 なんていうんだろ、求める力の強さみたいなものが作品を際立たせる、というような感覚があるのかもしれないです。