最前線にいること

 キズナアイに関する話題をちらっと眺めてて、俺のなかではあれは世代間闘争ってことでかたづいちゃったのでもうどうでもいいんですけど、ふとそれに関連して思ったことがあったので書いておきます。

 俺はそのキズナアイとやらをほとんど知らないわけですけど、もう反発してる層ってのは「要はアニメ絵が気持ち悪い」っていうことでいいんじゃないかと思うんですよ。ただもうその価値観って現代の基準にほとんどあってないわけで、あわないものを振り回すから反発されるわけです。

 俺自身「男らしく」とかそういう旧来の価値観にえらい苦しめられたほうで、そういう経験や、いまのネット上でのいろんなバトルなんか見てて思うのは、そういう現代にあわない価値観みたいなのが一掃されるのって、もうそういう価値観を抱いてる世代が死ぬしかねえと思ってんですよね。いずれ死ぬし。48年間生きてきて、それはもう、ほんとに思う。実際、ほっといても世のなかってのは変化してくわけですし。

 俺はもう大きな舞台でなんか大声でしゃべることってたぶんないし、なくてもぜんぜん問題ねーやと思うようになったのは、その状況のなかでことさらに自分がなんか言う必然性を特に感じなくなったからです。いいかげん50近い年齢になってなんかまだ書いてるってのは、たぶんその人の抱えてるテーマらしきものがそれをさせてるはずなんですけど、それでいうと俺のテーマってのは世のなかでなんか発言する方向には向かってなかったってことです。

 なんていうんだろ、なんかしゃべるということ、その声が人に影響力を与えるってのは、その人の持ってる能力だけの問題じゃなくて、たぶん大きなものの流れとか、そういうものとの兼ね合いみたいなのがあるんじゃないかと思います。その兼ね合いってのは多分に個人での制御は難しいもので、唯一その流れのなかで影響力を持ち続けるには、おそらく最前線で戦い続ける以外の方法がないんじゃないかと思うんです。そんでもう、戦いって意識持ったら負けなんですけどね。

 最前線にいるってのは、当事者だってことなんですよ。当事者が時代の流れ(いやな言葉だな……)とのあいだでたてる軋みの音みたいなの。そういうのが説得力を持つ言葉ってやつで。この当事者感を忘れたおっさんにできることがあるとするなら、たぶん有能な藁人形くらいのもんだと思います。そんで俺はもう、時に軋みみたいなのは感じなくなったんで、言えることがなくなってしまった感じです。まあ巨乳全盛の時代に物申したい気分とかないではないんですけど、そういうのってあくまで俺個人の適応の問題だし、そして個人の問題である以上、書く必要がなくなっちゃったんですね。

 要するにめんどくさいだけなんですけど、このめんどくささが人の加齢を促進すんだよなあたぶん。でも俺そういうのに逆らう気あんまないんで。最終的になんか読んで「おもしろい」と思ってりゃそれで満足な人間なんすわ俺は。