50歳で引退

 可燃性の高い話題ってこえーなーと思いつつ今日も更新です。あれだよな。可燃性の高い話題に常時頭つっこんでそれなりの文章を書き続けるブログしぐさを続けてると、まあだれでもそれなりのPVは稼げるんじゃないかなーと思う昨今です。まあ問題は「それなり」の基盤になるなにかなんですが。

 

 ところで体調が悪いです。俺もそろそろ50歳近いので、なんだかんだと疲れが残ったりなんだりします。俺はとにかく肉体がクソ頑丈な人間で、この年になるまで入院ひとつしたことがないし、風邪だってめったにひきません。寝込んだりした経験ってここ20年単位であるんだかないんだか。特になんかしてるわけじゃないんですが、立ち仕事である関係上で、足腰の衰えはダイレクトに体に来るので、スクワットだけは欠かしません。

 おもしろいなあと思うのは、こんだけ頑丈な人間でも、ちゃんとしかるべきときが来れば、だんだん体が壊れはじめるということです。この延長線上で、いつか死にます。ちゃんと自分も死ぬんだよなあという事実には、一種の諧謔を感じます。泣いたって叫んだってせいぜい数十年の話だろ、みたいな。

 まあ現実的には、動く体を維持するためにはそれなりのコストを払う必要が出てくるわけで、めんどくさいです。コストっつーか頭使わないとだめですやね。不調の原因を特定するために。そこはもうなんか因果関係ありますので。てゆうことは無茶もできないってことでもあります。めんどくさー。

 

 んで、以下は与太話です。

 俺思うんですけど、だいたい最新のものに躊躇なく食いついていけるのって30歳かもうちょいくらいまでが限界で、過去の遺産で食ってける限界が50歳くらいまでだと思うんですよ。先人の知恵とかよくいいますけども、その知恵を役立てるためには「現在どうなってるか」っていう知識が不可欠で、そこをある程度のリアルさをもって感じられる限界が50歳くらいじゃないかと思うんです。

 もちろん個別にはさまざまな例外があるのはわかってますよ。

 俺は、人間は肉体の檻からはなかなか自由になれないという思想の持ち主です。これも数多くの例外はあるでしょうが、精神の自由度がある程度は肉体に規定されちゃう部分あるってことですね。特に仕事っていうフィールドだとそうだと思います。

 なんつーか、知りたいとか活躍したいとか、そういうのってつまり欲望だと思うんです。性欲とか食欲の比喩で語れるような。俺は常々、自分が一定以上の存在にならなかったのは欲望が足りなかったからだ、みたいなことを言うんですけど、この欲望って、なくなったらもう前に進めない性質のものだと思うんです。あくまで個人的な思想なんですけど「◯◯したい」っていうその「したい」の原形質みたいなのが人間にはあって、ある程度の年齢でそれは枯渇する、みたいなイメージです。

 なんでまあ、人類、だいたい50歳くらいで引退ってことでいいんじゃないすかね。現実的にできるかどうかはさておき。

 自分の感覚としては、そもそも70年とか80年とか長すぎんじゃねかえな、という感じです。現実にそれだけ人間が生きるケースが多い以上は、それを前提に制度設計しなきゃいけないんでしょうけども、それはもう少なくとも日本みたいな国とっては義務ってレベルでそうしなきゃいけないんでしょうが、かといって、それが自然なのかなっていうと、どうにもそうは思えない。

 もっとも、人類たるもの、自然に屈したらそこで試合終了なんで、きっとその状況に適応した「なんか」は生み出すんじゃないかと俺は楽観的に考えています。その「なんか」がなんであるかを考えるのは俺の仕事じゃないんですが、個人としては50歳でも110歳でも、なるほどそういうもんですか、と爆笑しながら受け入れられるのが目標です。これだけは、肉体がどう言おうが譲れませんね。