外部端末が加齢する

 昔は音楽聞きながら文章書くのぜんぜんふつうにできるほうだったんだけど、いつからかまったくできなくなったにもかかわらず、音楽聞くのがやめられないので聞きながら書くのでなにいってんだかよくわからない文章になる予定です。ちなみに今日は、ハンバートハンバート→やなぎなぎ→ダニー・ハサウェイです。最後のダニー・ハサウェイはいったいどこから思い出したのか自分でもわからん。や、70年代ソウル好きなんすよ。音楽聞くようになった入口がキー・オブ・ライフより前のスティービーワンダーなんで。

 ああそうそう、加齢の話です。

 ツイッターのタイムラインでそういう話出てきたんでふと考えたんですけど、俺もともと「社会に接する自分の部分」って、なんかこう、外部端末みたいなもんだとしか思ってないんですよね。これ「他人からどう見られるのかほとんど気にならない」っていうのとセットなんですけど。

 加齢すんのも、年齢相応のふるまいすんのも、その外部端末のほうなんですよ。できてるかどうか知んないですけど。外部端末にはもちろん肉体が含まれますし、いわゆる外面みたいなのも含まれます。俺がこんなてきとーなやりかたで許されてるのは、自営業だってのがでかいでしょうね。逆にいうと、かなり早い段階で、自分には会社組織は無理だという自覚があったということです。

 このやりかただと、自分を規定するものは少なければ少ないほどいいです。たとえば親戚づきあいとか、近所づきあいとか全部だめです。なので、俺はそれを完全に排除すべくがんばりました。なので俺は自分の甥や姪の名前すら知りません。親はたぶん生きてるんだろうなあくらいの感じです。俺には自営業者やってるその肩書以外には、社会的な立場はなにも必要ない。ないから、なくしました。「おまえは自分にとって◯◯である」という人間は可能な限りそばにいてほしくないのです。いてほしくなければ排除するのです。この点において俺ほど成功した人間はあまりいないと思います。

 まあそんなわけで、俺の半生はだいたい、いかに自分の立場を単純化するか、というのがテーマでした。

 でまあ、話戻しまして、ここまで単純化してしまうと、数字さえ出してれば自分に対して介入してくる人間なんてほとんどいない。そこまでして俺が守りたかったのが、自分の内面の王国です。

 もちろん人間なので外部端末の影響は受けます。肉体が衰えたり、社会的な責任がかかってきたり、それによって考えかたとかが変化したりすることはもちろんある。でもそれひっくるめて、自分の内面の話なんです。その城のなかで起きていることはみんな俺の問題であって、他人と比較する必要もないし、だれかに教える必要もない。俺がそうだっていったらそうなんです。俺のなかでは。

 俺の社会における価値は、仕事によって金を動かすことだけで、ほかは別になんも必要ないです。余録として自分が食ってければそれでいいってだけです。

 

 ただ、どうなんだろ。ここまで意識的にやってる人間ってのはあまりいないと思うんですけど、世のおっさんたちのうち、けっこうな比率でこういう処理をしてる人っていると思うんですよね。どうなんすかね、おっさんたち。